からし種 408号 2023年5月

受難主日

『この人は神の子だった』マタイ27:32-56

今日から教会独自のカレンダーでは、受難週に入ります。7日の金曜日に、イエス様は十字架上で処刑されます。そして三日後の9日が、今年のイースター、主の復活日になります。今日はその十字架の出来事を聖書から聞いてまいります。

まずどういう経緯で、イエス様は十字架に掛けられる事になったのか。福音書の中で目立つのは、イエス様は度々、安息日にしてはいけない労働行為に該当する、病人の癒しを行いました。そうやって律法違反を繰り返しました。にも関わらず、人々からは一定の人気を得ていました。ユダヤ教団の上層部からすれば、律法違反の常習犯を見過ごす事は、自分たちの沽券に関わります。何とかして、亡き者にしようと考えるようになりました。しかし、そんな人気のある者の殺し方は、慎重に進めないと、イエス様を支持する者達が、騒ぎ立てる事も考えられます。マタイ26章3-5節『そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した。しかし彼らは、民衆の中に騒ぎ起こるといけないから、祭りの間はやめておこう、と言っていた』とあります。当初は密かに、イエス様がいなくなるようにすることを考えていたのでしょう。しかし実態は、民衆の間でのイエス様の存在感は、大きくなり過ぎていたのでしょうか。密かに事を進めることは、考えられない状況になっていたようです。

事態は急変します。そのきっかけを作ったのが、弟子の一人のユダの裏切りでした。マタイ26章47節『・・十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た』。大勢の民衆もいて、もはや密かには、イエス様を殺すことは出来ない。いずれにしても、大騒動にはしたくない。何故なら、今はユダヤはローマの植民地下にありましたから、下手に騒ぎを起こせば、弾圧を受けるでしょう。ユダヤ教上層部は、ローマの庇護の下に、自分たちの宗教的権威は保証されていたわけです。騒ぎになれば、自分たちの権益も剥奪されてしまうかも知れない。それだけは何とか避けたい。そこでユダヤ人の議会である最高法院で、イエス様を公式に尋問し、死刑に処する事を考えた。ユダヤ教には、石打の刑と呼ばれる処刑方法がありました。殺人罪をはじめ、背教、冒涜、姦淫など、17種にのぼる犯罪で、この石打の刑に処せられることになっていた。

この時の最高法院では、イエス様を処刑出来る、決定的な証拠はどうしても掴めなかったようです。マタイ26章59-60節『さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった』。イエス様も不利な偽証を聞きながらも、何も反論しませんでした。結局イエス様が、恐らく詩編110編からでしょうか。そこの言葉を口ずさんだのを捉えて(マタイ26:64)、大祭司が言いました。マタイ26章65-66節『神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。どう思うか。人々は、死刑にすべきだ、と答えた』。ユダヤ教上層部は、無理やり冒涜罪にしようとした。ここで興味深いのは、上層部は、民衆の支持を得ようとしている事です。自分たちの権威で、勝手にイエス様を断罪することを恐れたのでしょう。民衆の反発を無視出来ない。出来るだけ自分たちに、火の粉が罹らないように、本音は隠して、計画通りに事を進めたい。実は、イエス様の十字架の場面には、このような自分の身の安泰のためには、真実や本音を隠して、矢面に立たないで、したいことをしようとする。そんな人間たちが、描かれるのです。

とりあえず一定の民衆の支持を得た上層部は、それでもユダヤ教の律法に基づいて、イエス様を石打の刑にすれば、大騒動になるだろう。そこでまた彼らは考えた。これは自分たちでイエス様を処するのではなく、ローマの権威の下で処してもらうのだ。そうすれば、自分たちは矢面に立たなくても済むだろう。非難されるにしても、それはローマの総督が負うことだ。マタイ27章1-2節『夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した』。引き渡した口実は、恐らくローマ皇帝への反乱を企てた者、とでも言ったのではないか。だからそんな訴えを、総督としては無視するわけにはいかない。総督としての義務を、遂行しなかったと訴えられれば、自分の出世にも響く。このピラトも、やはり、自分の身の安泰のためには、真実や本音を隠して、矢面に立たないで、したいことをしようとする。そんな人間の一人だったのでしょう。

しかしいくらイエス様に不利な尋問を進めても、イエス様は何も反論しない。裁かれるような罪は見当たらない。しかしユダヤ人の剣幕からすれば、無罪放免にするわけにもいかない。マタイ27章15節『ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた』。イエスをこの、釈放する囚人にすれば良いのだ。とにかく、この騒ぎから関係を断ちたい。自分の妻からの、伝言の言葉も気になる。マタイ27章19節『あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました』。何とかイエス様を釈放しようとするが、執拗に民衆は、イエスの方を十字架に掛けろと、激しく叫び続けた。とうとう、ピラトも折れてしまった。マタイ27章24節『ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ』。こうして、総督とユダヤ人たちは、責任のなすり合いをした。真実と本音を隠して、面倒な事の矢面から逃れ、自分の身の安泰と満足に浸ろうとしている。民衆も大勢の中で、一人一人は、事の矢面に立たないで済んでいる。そして自分の言いたい事だけを、無責任にわめく快感に浸っている。いわゆる野次馬根性だ。そして匿名性を好む人間なのだ。

そんな人間たちを映し出しながら、イエス様は十字架上で息絶えた。しかしそこに、これまでとは異質な、人間の言葉を聖書は伝えています。マタイ27章54節『百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、本当に、この人は神の子だった、と言った』。特に百人隊長とは、ローマ皇帝配下の軍隊に所属する幹部兵士です。ローマ皇帝は『神の子』と自称していました。その配下の幹部兵士が、十字架のイエス様に向かって『神の子』と証言したのです。これは聞きようによっては、出世に響く言葉です。しかし彼は、出世に不利な矢面に立つことを恐れなかったのか。図らずもイエス様によって彼は、そんな立場に置かれることとなった。

自分の身の安泰のために、真実や本音を捻じ曲げて、矢面に立たずに無責任でいられると言えば、匿名電話、SNS上の誹謗中傷、フェイクニュース、忖度等、今もあるそんな現象が思い起こされます。それによって人が死んだり、戦争にまで拡大されるような問題も孕んでいます。そう考えますと、この十字架の出来事は、人間の罪の極致を映し出し、今も続いているように示されます。

一人の人間の正義が、さも絶対であるかのように、振る舞ってしまうことがあります。殺人でさえも正当化され、それが正義にもなる。敵と言っても、敵の敵は味方にもなる。絶対的な敵などいない。だから自分も、絶対的に正しい人間でもない。こんな人間のただ中で、こんな人間によって十字架に掛かるイエス様。絶対的な正義の無い人間界にあって、どうやって正義が現わされ、全うされるのだろうか。それは、絶対ではない人間たちが集められて、そこでそれぞれが思う正義に、悔い改めと尊敬をもって、耳を傾け続ける。そうやって、少しでも絶対的な正義に、導かれて行くことではないか。そこにはまさに、主イエス・キリストが共におられると示されているのだから。

百人隊長は『神の子だった』と、過去形で証言した。しかし人間が、罪の極致に相変わらずいる限り、今も共に十字架のイエス・キリストが、キリストの教会によって、神の子であり続けて下さっている。十字架の主に立ち還ろう。

主の復活日

『ガリラヤへ行くように』マタイ28:1-10

先週2日の受難主日では、イエス様が十字架にかけられる経緯について、聖書から概観しました。イエス様ご自身には、十字架に掛けられるような、直接的犯罪行為は見受けられませんでした。イエス様に良くも悪くも関わる事で、自分の身の安全が脅かされると思う、周りの人間たちの思惑によって、十字架に掛けられたのが、実際のところだと示されました。周りの人間たちとは、主な者たちで言えば、ユダヤ教団の大祭司や律法学者。曖昧に振る舞うユダヤ人の民衆。実際に、イエス様を十字架刑に処したローマ総督。そしてイエス様に従った十二人の弟子たちです。通常の立場からすれば、彼らは互いに反目し合うような関係でもありました。

イエス様を断罪したい大祭司や律法学者たちが、それを自分たちで行えば、イエス様を慕う民衆が騒ぐかもしれない。そうすると、植民支配するローマ当局から、騒ぎの責任を問われ、ローマの宗教寛容政策によって、ユダヤ教団が享受してきた利権を失う恐れがある。そうかと言って、イエス様を放置すれば、自分たちの面目丸つぶれ。また放置に反対する民衆が騒げば、やっぱりローマの弾圧を引き起こすかも知れない。どっちに転んでも自分たちの権益を守るためには、自分たちの責任で、イエス様を処罰するのはまずい。ならばイエス様の断罪を、ローマ総督に任せれば、自分たちへの弾圧は無いだろう。一方ローマ総督にして見れば、イエスを断罪する理由は見当たらない。しかし証拠が定かでないのに、ローマの反乱分子だと騒ぎ立てるユダヤ人も無視出来ない。自分の監督責任が問われて出世に響く。ならば亡き者にして、この騒ぎを早く鎮静化させる方が、自分の身の安泰のためには得策だ。十二人の弟子たちは、イエス様が何も抵抗されないし、自分たちで守り切る事も出来ない。もはや事態の推移をただ見守るだけだ。そしてイエス様が死ぬにしても、究極の本音は、イエス様の仲間だからと、とばっちりは受けたくない。こうして、イエス様が十字架にかけられるこの一点で、反目し合うはずの彼らは、自分たちの身の安全が保たれるように一致したのです。どんな立場の人間も、結局は、自分が一番かわいい、という所に帰着するものなのです。逆に、どんなに不利な状況に置かれも、反論も弁護もしなかったイエス様は、究極的に自分を放棄する方を、選択されるお方なのです。

それにしても、これらの周りの人間たちの中で、弟子たちは極めて苦しく、不安な立場に置かれたことだろうと思います。イエス様とは極めて濃い日常生活を共にして来たからです。それが、たとえ積極的ではないにしても、結果的に弟子たちも、イエス様を十字架に掛けることに加担してしまったからです。それに対する負い目は、極めて大きく膨らんで行ったことでしょう。イエス様の祟りのようなものも、中には考える弟子たちもいたことでしょう。そんな彼らに、イエス様の復活が知らされるのです。まずイエス様が葬られた墓に行った二人の女性たちの前に、天使が現れて言いました。マタイ28章7節『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』。この後、今度は復活のイエス様ご自身が、やはり二人の女性たちに言いました。マタイ28章10節『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる』。特に後半の、イエス様ご自身が語られた『わたしの兄弟たち』という言葉は、これを聴く弟子たちは、どのように思ったでしょうか。裏切った自分たちを、『兄弟』と呼ばれる。良くも悪くにも、受け取り得る言葉です。

そしてここで、天使とイエス様ご自身から、二度までもガリラヤへ行けと言われる。どんな意味が込められているのか、考えさせられます。実はガリラヤ行きについては、既にイエス様が触れているのです。マタイ26章32節『しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く』。そしてこの言葉が語られた場面は、新共同訳聖書の小見出しにあるように『ペトロの離反を予告する』と言われる場面なのです。イエス様が逮捕されて、十字架に掛けられる事を想定しながら、弟子たちに向けて『今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく』と語られたのです。それを聞いたペトロは『たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません』と啖呵を切ったのです。それに対してイエス様は『あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう』とおっしゃられた。それに対してペトロは、更に啖呵を切った。『たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません』。これはペトロだけでなく、他の弟子たちも皆、同じように言ったということです。ですから婦人たちから、天使とイエス様からの『ガリラヤへ行け』との言葉を聞いた時、真っ先に思い浮かぶものは何だったのか。あの時の啖呵を切った、威勢のいい自分たちの事ではなかったか。そして増々、浮かびようがない泥沼の中に、恥じ入るしかないのではないか。一方、良く考えれば、ガリラヤは人生の原点なのだ。

ガリラヤという地名についてですが、この意味は『周辺の地方』という意味があるそうです。イスラエルの北方地方ですから、古来より、異邦人が出入りし易い、人種の混合が見られる地域でした。ですから、ユダヤ教本山のあるエルサレムからも、遠いこともあって、律法に対して幾分自由な見解が生まれやすい土壌があったようです。いわゆる異邦人に排他的な選民思想、染まり難かった。今日の第一日課の使徒言行録10章34節以下にありますが、後に立ち直ったペトロが『人を分け隔てなさらない神だ』と告白出来たことにも関係しているかも知れない。それは純粋なユダヤ人からは、軽蔑の対象にならざるを得なかった。イエス様の生涯の大部分は、この地で過ごされ、宣教活動の主要舞台になりました。そして、イスカリオテのユダ以外の、11人の弟子たちはガリラヤ出身者でした。

そんなガリラヤで、復活のイエス様に会うことになる、と伝えられたのです。その時の弟子たちは、良く取る方にかけた。そこにすがりたかった。この言葉から、救いようのない後悔に落ち込む弟子たちには『人生、やり直しが出来る』という声に、聞こえたのではないか。『人生やり直しがきかない』というのが通説です。しかし復活のイエス様は『違う、やり直しをしよう』とおっしゃられるのです。『やり直しをする』と聞きますと『戻れるはずもない過去を、どうやってやり直しが出来るの』と思ってしまいます。しかしイエス様は、既に『人生のやり直し』について、聖書の別の箇所でおっしゃられていることが思い起こされました。

ヨハネ3章です。3月5日の四旬節第二主日で、与えられていた福音書箇所です。ここはユダヤ教団の議員のニコデモが、尊敬するイエス様の所に夜間忍んで来て、会話をしたという場面です。その時にイエス様が、ヨハネ3章3節『人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない』と言われました。それを聞いたニコデモが、年を取った者が、どうして生まれることが出来るのですか、もう一度母親の胎内に入って生まれることが出来るのですか、問い直したということですか。これはまさに、もう一度過去に戻れるのですか、と問う事と重なります。そこでイエス様はヨハネ3章5節『だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない』と返したのです。これは今もキリストの教会で行われる、イエス・キリストのお名前による洗礼を指し示す言葉です。

ガリラヤでイエス様に会うとは、やり直しの人生を、今度は復活のイエス様と共に歩もうよと、おっしゃられるようです。そして今日も、復活のイエス様が招く聖餐式を通して、共に歩むイエス様を、味わうのです。

復活節第2主日

『見ないのに信じる』ヨハネ20:19-31

イエス様が十字架にかけられるに際して、処罰されるような直接的犯罪行為は、見受けられませんでした。イエス様に関わる、周りの人間たちの思惑によって、十字架に掛けられたのが、実際のところでした。その主な周りの人間たちとは、ユダヤ教団の大祭司や律法学者。野次馬的ユダヤ人たち。ローマ総督のピラト。そしてイエス様に従った十二人の弟子たちでした。特に弟子たちは、極めて大きな負い目にさいなまれた。イエス様の祟りに出会うのではないかと、不安と恐怖に襲われる程ではなかったかとも想像します。イエス様とは深い関りを持って来た者たちだからです。裏切りという、たった一言では済まされない位に、弟子たちは結果的に、イエス様を見捨て去ってしまったからです。

そんな弟子たちに、復活のイエス様が現わされたのです。しかしイエス様を十字架に掛けることに加担した、他の関わった人々には、復活のイエス様は現わされたのだろうか。少なくとも福音書には記されてありません。この弟子たちのように、強烈な言わば罪意識を持ってしまった者たちだからこそ、復活のイエス様が現わされたのではないか。そんなふうにも、思えて来るのです。いわゆる聖人君子のような人間に、復活のイエス様が現れて、ご褒美に復活の永遠の命を上げますよ、みたいな構図ではないのです。むしろ罪意識にさいなまれ、絶望の瀬戸際にある者にこそ、復活の主が現わされるのではないか。

今日のヨハネ福音書も、そんな弟子たちに、復活のイエス様が現わされた場面です。ヨハネ20章19節『その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた』。『弟子たちはユダヤ人を恐れて』いたという。その考えられる理由は、弟子たちもイエス様の仲間ですから『あいつらも、とっ捕まえて、ローマ総督の所にしょっ引こう』と考えるだろう、そんなユダヤ人たちを、恐れたということでしょうか。しかし、弟子たちが直ぐに、そんなユダヤ人たちに、実際、襲われたかというと、聖書はそれも記していないのです。もう少し後になって、復活のイエス様に出会った弟子たちによって、復活のイエス様が救い主であることを宣べ伝えられ、それを信じる人々が多くなって来た時に、迫害を受けるようになったということは、聖書は記しております。それまでは、そんな十人前後の弟子たちには、目もくれなかったのかも知れません。それよりも、イエス様の祟りのようなものを恐れる方が、彼らにとっては先決ではなかったと思うのです。

家の戸に鍵をかけて潜んでいた、そんな弟子たちの真ん中に、復活のイエス様が立たれたのです。弟子たちは『祟りだ』と、騒いでもよさそうに思います。しかし、いきなり『主を見て喜んだ』と聖書は記しております。その前に、イエス様が『あなたがたに平和があるように』と、挨拶をされました。更に『手とわき腹とをお見せになった』というのです。ここにはイエス様が、本当に恐れなければならないものは何か、それを教えられるようです。と同時に、だから復活した私がここにいるのだと、何か一気に、表された場面であるように示されます。恐れなければならないのは、人ではない。本当に恐れなければならないのは、己の罪でありそれを裁く神です。しかしその神は、十字架の死と復活の主イエス・キリストを送られた。それによって、赦しが与えられるために。重ねて言われた、次のイエス様の言葉が、弟子たちに、罪の赦しの確信を与えて行ったのではないか。ヨハネ20章21節『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす』。罪深いだめな私を、イエス様の宣教のみ業のために、もう一度用いて下さると言うのです。そしてその宣教とは、罪の赦しの宣言だと言う。

罪赦された者の喜びに、一番に、共感し得る者は、この時の弟子たちだった。罪の赦しとは、これこれこういうものですと、何か理屈をこねて説明するようなものではない。ただ罪赦された者の感謝と喜びを、表して行くだけです。そのように用いて遣わして下さる、というのです。また次のような言葉も掛けられました。ヨハネ20章23節『だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る』。ここに語り掛けられる『あながた』とは、直接的には弟子たちです。彼らは聖霊を注がれて、用いられて遣わされる。これは今や、キリストの教会を指し示します。教会は、罪の赦しの感謝と喜びを、共感出来得る者の群れです。その裏を返せば、罪が赦されないまま残ることの、不安と恐れも、よく知っている者の群れです。ですから、ここで復活のイエス様が言われる、派遣の言葉は、次のようにも聞きます。『キリストの教会は、罪を赦された者の感謝と喜びに、共に共感し続ける。またキリストの教会は、罪を赦されない者の不安と恐れに、共に共感し続ける』。

この時の弟子たちと、復活のイエス様とのやり取りに、欠席していた者がいました。弟子のトマスです。何故一緒にいなかったのか、理由は記されてありません。ただ、いなかった理由はどうであれ、まずいなかった自分を、顧みるのが必要だったのではないか。いない間に現れたイエス様の方に、怒りを向けるのは本末転倒ではないか。ヨハネ20章25節『あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない』。しかしまた、そんな怒りをぶつけながらも、後でまたトマスは後悔したかも知れません。『傷跡に手を突っ込むなんて、なんて残酷なんだ自分は』と。そんなトマスの前に、一週間の後、イエス様はまた現わされました。トマスの後悔の思いも、聞きあげて下さっていたのかも知れません。現わされたイエス様に向かって、トマスは『わたしの主、わたしの神よ』と告白しました。『わたしの』と、一人称で告白したトマスの思いが、色々と想像させられます。『こんなわたしのために、でもこんなわたしでいいんですね』。

先日、次のようなお話を聞く機会がありました。あるご夫婦が、8歳の長女を、交通事故で無くされました。お父さんの目の前で、道路の向こう側に停車していたスクールバスに向かって、道路に飛び出したところを、車にはねられてしまったそうです。学校に関係するカトリック教会の神父様に、緊急洗礼を授けていただいたそうです。その後、お父様も洗礼を受けられたのです。お母様は、何故神様は娘を、このような目に遭わせたのか、それが分からなくて、洗礼は受けていないということでした。お父様は、自分の目の前に起こった事が、自分に責任があると思い、神様にすがる思いで洗礼を受けられたのでしょうか。本当に辛い出来事です。それを承知で、解説じみた事を言うのをお赦し下さい。母は、事故の責任を神様に負わせるように、神様を見ようとしたのでしょうか。まだ神様が見えないでいる、ということでしょうか。父は、事故の責任は自分にあると自分を見つめ、それを癒して下さるように神様を見ているということでしょうか。

最後にイエス様は言いました。ヨハネ20章29節『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである』。自分に何かをしてくれない神様を責めるのではなく、自分の今をよく見て、そんな自分に、既にしてくれていること、あるいは、これからしてくれるだろうことに信じて、そんな自分を差し出すように神様に委ねる。これが『見ないのに信じる』ということなのでないか。

『見ないで信じる』とは、見る見ないではなく、赦されているかいないか、ここにあると示されます。

復活節第3主日

『二人の目が開け』ルカ24:13-35

イエス様の弟子の中でも、十二弟子と呼ばれる、中心的働きをした弟子団がいました。先週は、イスカリオテのユダを除いた、その11人が、ユダヤ人を恐れて、隠れ家の全ての戸に鍵を掛けて、潜んでいたということを、ヨハネ福音書から聞きました。それは、イエス様が復活された日の夕方のことでした。そんな彼らの真ん中に、復活のイエス様が立たれた。そして、聖霊を注ぎ、罪の赦しの宣教者として、派遣することを宣言されました。ただしその日には、11人の中のトマスという弟子だけが、その場にいませんでした。それで一人だけ、味噌っかすのように思った彼は、ふてくされて言いました。『イエス様の手足の傷の中に、自分の手指を入れなければ、イエス様の復活なんて信じない』。それからまた一週間後の週の初めに、再び復活のイエス様が、やはり鍵の掛かった彼らの隠れ家に現れました。その時にはトマスもいました。トマスはイエス様が自分の事を、実は、全て知っていて下さる事を知らされました。それで、復活のイエス様を信じる者に、造り変えられました。その時イエス様は、次の言葉を投げかけました。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである』。

さて今日は、ルカ福音書から、やはり復活のイエス様との出会いの場面を聞きます。やはりイエス様が復活された日のことでした。ここでは、二人の弟子たちのことが記されてあります。一人の名前はクレオパで、もう一人の名前は記されてありません。少なくとも彼らは、冒頭で申し上げた、十二弟子という、いわゆる幹部級の弟子ではないようです。聖書がこのようにして、十二弟子以外の、普通の弟子に言及するところに、改めて注目させられます。それは現代の、キリストの教会に連なる、私たちのようなキリスト者を、投影しているようにも思うからです。とにかく二人は、十字架に死んでしまったイエス様に落胆していた。それで、自分たちの村のエマオに、仕方なく帰ろうとしていたのでしょう。十字架の出来事を、互いに話し合い、論じ合っていたということです。何故こんな事になったのか、もしかしたらイエス様にだって、落ち度があったのではないか、そんな議論にもなっていたのかも知れません。

そんな彼らに復活のイエス様が近づかれ、彼らと会話を進めるわけです。その時に聖書は『しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった』と記しております。これは分からないのは、弟子たちのせいではないことは確かです。神様が敢えて、二人の目を遮った、ということですから。そうすると、そこにどんな意味があるのか、考えさせられます。それは、復活のイエス様を見るとか見ないとか、そこを聖書は問題にしていない、ということです。もしそういうことだけなら、さっさと『私は復活のイエスです』と登場して、二人に復活のイエス様を見せればいいだけです。それなのに、この後の展開になりますが、時間をかけて会話をしています。更には一泊までして、それでようやく復活のイエス様を見た、というのです。ここには、それだけの時間とプロセスを経るという、むしろ大切な意味が、込められているように示されます。イエス様は、敢えて正体を明かさずに、二人と会話をする中で、彼らの、言わば本音を引き出すようです。彼らが自分の事を、どういう状態にあるのか、自分が何者なのか、気づきを与えようとなさるのです。言わば復活のイエス様による、カウンセリングです。

このイエス様によるカウンセリングの中で、彼らの問題点が明確になって行くようです。まず、彼らが抱くイエス像です。ルカ24章19、21節『この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。・・わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました』。イエス様がどういうお方なのか、彼らなりの期待が示されています。それは当時の多くのユダヤ人たちも、抱いていたイエス像でした。当然、十二弟子も同じようだったでしょう。しかし、ここに彼らの問題点が示されます。それは現代の私たちも、しばしば行ってしまうことです。自分がイメージしたイエス像を、いつしか絶対化してしまうのです。イエス様はこうあるべきだ、イエス様ならこんなふうにしてくれるはずだ、そして最後は、イエス様は自分の筋書き通りに動いて下さるはずだ。願ったことも、その通りにして下さるのだ、と決めつけてしまうのです。そして、そんな自分の筋書きに沿わないと、何でイエス様は、私をこんな目に遭わせるんだと、恨んでしまう。自分に起こってほしくないことの責任を、無意識でも、イエス様に負わせてしまう。自分の筋書き通りにイエス様を動かそうとするのは、まさに自分が神様のようになってしまうことです。

それから、二人との会話の最後の方で、イエス様はおっしゃられます。ルカ24章25節『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、・・』。厳しい言葉です。がしかし、習慣や常識や自分の筋書きで、物事を判断してしまうので、それに沿わないものは、絶対に受け入れられなくなってしまうのです。これが『物分かりが悪く、心が鈍く』と、言われていることなのでしょう。こうして折々に、自分自身を見つめさせられて行く。またイエス様の言葉が、決して借り物のような、評論家的言葉に聞こえなかった。ご自身が、まさにその聖書の言葉通りに、生かされている。そんな熱意が、伝わって来るようだった。そんなお姿に、二人の弟子たちも、心が燃える程に、引き込まれて行ったのだ。こんな聖書箇所が思い起こされました。マタイ7章28-29節『イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである』。律法学者は昔の有名な学者の説を引用して、言わば借り物の言葉を語り教えたようです。権威ある者として教えるとは、それを聞いた者が動かされる、ということです。

それで彼らはイエス様を、強いて、自分たち所に一緒に泊まっていただくようにした。そこで食事を共にした。ルカ24章30-31節『イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった』。ようやく、復活のイエス様が、見えるようにしていただいた。その途端に、また見えなくなったという。それはまるで、マジックのようです。しかしここから示される意味は、やっぱり『見る』ということが問題ではない。復活されたことを『知る』ことが大切なのです。そして最後に、彼らはもう一度エルサレムに戻ります。そして、十一人の弟子たちやその仲間たちと、復活のイエス様が『分かった次第』を、共有したことが記されてあります。それはあたかも自分たちが『知ったこと』が、決して自分本位の思い込みではないことを、確認させるためでもあったのではないか。十一人の弟子たちと共有するとは、あたかも原点に立ち返るかのようにも示されます。それは現代のキリスト者の原点が、一週間ごとの主日礼拝にあり、そこに立ち返ることをも投影するようです。

改めて彼らが、復活を知らされる過程を振り返ります。自分が何者なのかを、問い質される。聖書の解き明かしが熱く示される。極め付きは、一緒に食事をした時に『目が開け』たという。特にこの食事の場面の『パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった』というのは、今もキリストの教会で行われている『聖餐式』を思い起こさせるものです。

現代の私たちも、見られるものならば、復活のイエス様を見て見たい。しかし、見える見えないは、神様が遮られたり、開けたりされるものだ。私たちには、自分を問い質し、自分を知る時が与えられている。主日礼拝によって、聖書の解き明かしを聞く時が与えられている。その主日礼拝には、聖餐式が備えられている。こうして今の私たちも、ご復活のイエス様を知る時が与えられているのです。結局、自分を知ることは主を知ることであり、主を知ることは自分を知ることなんだ。

これからもキリストの教会によって、ご復活の主を知らされ、造り変えられて、御心に沿う歩みを果たし続けて行こうではありませんか。

復活節第4主日

『わたしは羊の門』ヨハネ10:1-10

今日の福音書は、新共同訳聖書では『羊の囲いのたとえ』と『イエスは良い羊飼い』という、二つの小見出しが付けられてあります。そこではいずれも、羊飼いと羊の関係性が、イエス様によって語られています。ユダヤでは、羊や羊飼いは、馴染あるものです。しかし日本では、馴染は薄いかも知れません。少し羊と羊飼いのことを調べて見ました。いわゆる広い牧場に柵や門があり、羊はずっとその中にいる、ということではないようです。羊飼いは50~100頭の羊の群れを追って、草を求めて移動します。羊は弱い動物なので、1頭でいたら直ぐに野獣に襲われてしまいます。羊飼いの役割は、羊を1つの群れに集めて、狼や盗人から守り、草のあるところに導いて行くことです。夜になると羊は、所々に設けられていた、囲いに入れられます。この囲いは代々の羊飼いたちが、時間をかけて作り上げて来たものでした。誰の所有というわけではなく、異なる羊飼いの羊が、混じって夜を過ごします。朝になって囲いを出る時は、羊たちはちゃんと、自分の羊飼いを知っていて、自分の羊飼いに付いて行きます。羊飼いのほうも、一匹一匹の羊を見分けることが出来たようです。それだけ、羊と羊飼いは、濃密な関係にあったのです。特に、羊飼いの愛情深さもそうですが、羊たちが進んで喜んで、羊飼いに従う姿にも注目させられます。神様と人間との関係も、このように人間が進んで喜んで、その律法を守るようになるのが本来です。罪に定められるから守るとか、守らなかったら罪人だぞと脅されるのは、この譬えに示される羊飼いと羊との関係には程遠いのです。このように、当時の羊飼いと羊との間で築き上げられて来た、揺るぎない信頼に満ちた関係が、今日のたとえで描かれているわけです。

では何故ここで、イエス様はこの『たとえ』を語られたのだろうか。今日の福音書の、ヨハネ10章6節『イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった』とあります。ファリサイ派の人々が、たとえを聞いて、自分たちの信仰の在り様を、よく吟味してもらいたかったようです。つまり彼らの振る舞いからは、言わば強制と脅しで律法を守らせるような、そんな神様を現わそうとしてしまっていたのです。自分たちはそんなふうに振る舞っているんだなと、気づいてほしかったのです。そもそもこんなふうに、ここでファリサイ派の人々に注目したのは、今日の福音書のすぐ前の、ヨハネ9章の出来事があったからです。ここは、生まれつき目の不自由な人が、イエス様の癒しによって、見えるようになった、という話です。しかしその癒しの業が、安息日に行われたことで、騒動になりました。目が見えるようになった人は、イエスと言う人が癒してくれた、ということは知っていたようです。しかし、目が見えるようになった時には、イエス様はいなくなっていたので、顔は知らなかったようです。

安息日には、いかなる労働行為もしてはいけない、という律法規定がありました。癒しも労働行為になります。騒動の様子が、次のように記されてあります。ヨハネ9章16節『ファリサイ派の人々の中には、その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない、と言う者もいれば、どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか、と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた』。とにかく律法を守らない人間は罪人だと、上から目線で断定するのが、当時のユダヤ社会でした。そして、生まれつき目の不自由な人の目が、見えるようになるなんて、神様にしか出来ない事だ、と大方は見なすのでしょう。ですから罪人が神様だなんて、あり得ない。そんなあり得ない状況を、どう彼らの筋書きに納めたら良いのだろうか。律法を振りかざして、違反者に厳しく指導し裁いて来た、ファリサイ派の人々にして見れば、これは自分たちの沽券にも関わることになるわけです。

この、目が見えるようにしてもらった人と、ファリサイ派の人たちとの、次の会話に注目させられます。ヨハネ9章24-25節『さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。彼は答えた。あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです』。律法を守らないと言っては罪人と決めつけ、奇跡の業を見ては神だと言う。とにかく見た目で人間を、勝手に自分の尺度で評価する者たち。生まれつき目が不自由であることで、既にその人も罪人だと差別されて来た。しかしイエス様は、律法違反で断罪されることも恐れずに、まさに命をかけて、この目の不自由な人に関わり続けた。そんなイエス様に、たとえ名前しか分からないとしても、目が見えるようになった人は、強く心を動かされた。だから彼も、イエス様に肩を持つと言って、村八分にされることも、全く恐れることはなかった。そして喜んで、イエス様に従って行った。

繰り返しますが、イエス様とこの目の不自由な人との関り方が、どんなものであったのか、それが今日の羊飼いと羊のたとえの中に示されているのです。更には、人々が信じて来た、聖書の父なる神様こそ『罪を犯したから、お前はだめだ』と、烙印を押して見捨てるようなお方ではない。罪にまみれた人間を、だからこそ、そこに徹底的に関わって下さる。立ち直って行くように願い、導いて下さる。そういう聖書の父なる神様を、皆に現すように、イエス様は来られた。だからそんなご自分の事を、今日イエス様は『わたしは羊の門』とおっしゃるのです。ここを通るから、真の父なる神様が分かる。更には続けて、次のようにおっしゃられます。『わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる』。評論家的傍観の神様ではない。泥まみれになって、命をかけて、人間に関わる主イエス・キリストの愛の神なのです。

十日ほど前に観た、NHKテレビの『アナザーヒストリー』という番組が印象的でした。その日は、瀬戸内寂聴さんの活動を取り上げておりました。東日本大震災で被災した人々の姿に涙を流し、法話を通して、人々に希望を届けようとされておられました。その中の一コマを紹介します。原発事故で、全村避難を強いられた、飯館村の人たちを目の前にした時でした。人々の雰囲気が、これまでの被災者たちとは違うものを感じられたのでしょう。いきなり『この中で、私に肩を揉んでもらいたい人』と、声を上げられたのです。しばらくして、一人の人が手を上げました。『私は肩揉みが上手いのよ。どう気持ちいいでしょ』と、せっせと揉み始めたのです。そんな中で、人々の表情が和らぎ始めて、いつもの一体感のある法話が、進められて行ったのです。最初の人々の反応を想像しますと『どんなに偉い人か知らないが、どうせ、通り一遍の慰め話でもするんだろう。でも、私たちの気持ちなんか、傍観者のあなたには、所詮、分からない。そんな人の話なんか、全く慰めにもならない』という、そんな声が聞こえて来るようでした。瀬戸内さんも、そんなふうに聞き取られたのでしょうか。肩揉みを持ち出して『私は自分の立場をひけらかして、上から目線の慰めを語りに来たわけではない。ただ、皆さんの悲しみや苦しみを、勝手ですが思い図りながら、それでも今自分が思っていることを、皆さんに伝えたかった。それを聞いてほしかった』ということなんでしょうか。ここでまた一つの聖書箇所が思い出されました。1コリント13章2節『・・たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛が無ければ、無に等しい』。どんなに立派な人が立派な言葉を語っても、本気でその身になるように関わらなければ、伝わるものも伝わらない。父なる神様は、イエス様を通して、本気の愛を現わしたのだ。だから私たちも、その神様に喜んでついていける。

キリストの教会によって、こんな自分に関わって下さる、父なる神様の本気と愛に、一歩一歩応えさせられて、喜んで従ってまいります。