からし種 423号 2024年8月

聖霊降臨後第7主日

『悔い改めの宣教』マルコ6:1-13

先週の福音書の箇所を、少し振り返ります。マルコ5章21節から43節まででした。イエス様によって奇跡的に、病気が癒された人間や家族が描かれていました。まずヤイロという名の会堂長の娘が、死んでいたのに生き返りました。この会堂長ですが、言わば礼拝堂の管理を委ねられた、宗教生活の中心にあった人でした。ですから、ユダヤ教団では、重要な立場にある人でした。そんな人が、イエス様の足もとにひれ伏して、おいでになって娘のために、手を置いてやって下さいと、しきり願ったのです。奇跡的な癒しが出来るというイエス様の評判を、聞いていたからでしょう。一方で、会堂礼拝が行われる安息日に、律法違反の癒し行為をしたということで、イエス様はユダヤ教団の主だった人たちに、殺意を抱かせていました(3:6)。ですから、イエス様にひれ伏すというのは、立場上、かなりまずいことになります。それだけなりふり構わず、本音でイエス様にぶつかって行ったのです。その時は大勢の群衆が、イエス様を取り囲んでいました。ヤイロはそんな人々にも、身を晒したのです。そしてこの後イエス様が途中で、別の病気の女性と関っているうちに、娘は死んでしまいました。ヤイロは恐らく『こんな所で、うだうだしていたからじゃないか。さっさと駆けつけて下されば、娘は助かったのに』と思ったでしょう。でも最終的には、イエス様に委ねざるを得なかった。『恐れることはない。ただ信じなさい』と言われたヤイロは、言わば信仰を問われました。彼の信仰とは『持っているものを失うことも恐れず、強い自分を退け、助けを求めた』というものでした。

もう一人は、十二年間も婦人病を患って来た女性が、イエス様の服に触れただけで癒されたことでした。元々、相当の財産を持っていたようです。当時の社会で、女性が財産を築くとしたら、普通は人には言えないような、特殊な職業を想像させられます。何故こんな病気になったのかも、人には言えない。だから医者にも足もとを見られたか。結局、病気も治らず、財産も失った。この病気は律法によれば(レビ15:25-)、治るまで人との接触を禁じられていた。だから、堂々とイエス様の前にも出られなかった。たまたま大勢の群衆に囲まれていたイエス様ですから、その中に埋もれるようにして、近づいて服に触った。普通は、誰が服に触れても、特定出来るような状況ではなかった。なのに、イエス様は周りを見渡して、服に触れた女性を捜した。そんなイエス様の姿を見た女性は、もはや観念して御前に進み出た。そして、全てをありのままに話した。それは今日だけの事だけではない。12年以上も遡って、これまでの人生のありのままを話したんだろう。それに対してイエス様は『あなたの信仰があなたを救った』と言われた。この女性の信仰とは『お金も力も失い、弱い自分を曝け出し助けを求めた』というものか。

これら二人に共通する信仰とは『己の弱さに気づかされ、ひたすら助けをイエス様に求める』ものだった。一方、今日の福音書では、故郷に帰ったイエス様が、会堂で教えられた時、人々はイエス様につまずいた。それを見てイエス様は『人々の不信仰に驚かれた』と言う。人々の不信仰とは何か。それは、故郷では、ごくわずかな病人を癒されただけで、何も奇跡を行なうことが出来なかった、ということから知らされます。イエス様が奇跡を行うのは、あくまでもそこに、ひたすら救いを求めている人がいるからです。『奇跡を起こせるならやってみろよ。そうしたら信じるよ』と言う、傍観者的な人間に、見せるための奇跡はなさらない。奇跡によって、自分の名声を高めようとは、さらさら考えておられない。人々の不信仰とは、イエス様に救いを全く求めていない、というものだ。

何故、救いを求めないのか。それは、イエス様の事をよく知っていたからです。イエス様が、よちよち歩きをする頃から知っていた。そして『大工ではないか』と言っています。もう少し訳すと『あの時、あの家や、この家具を作っていた、あの大工じゃないか』。『マリアの息子』という声もあります。父親の名前を付けて『ヨセフの息子』というのが通常です。それを敢えて母親の名前を付けている。それは、イエス様の出生の経緯に、故郷の人々が、ある主の疑念を抱いていたことが想像されます。それ程に、自分たちはイエス様の裏も表も、よく知っているんだ、ということです。だからこそ、そんな人に、救いを求めるはずがないのです。イエス様の前にあっては、弱い自分ではない。冒頭のあの二人とは真逆です。

 イエス様が活動を始められた時の第一声は『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』でした。そして別の所では『子どものようにならなければ、神の国に入ることは出来ない』とおっしゃられています。ということは、イエス様がおっしゃられる『悔い改め』とは『神の前に子どものようになる』(マタイ18:3)というものです。それは自分の弱さを隠さない、ありのまま、とも言える言葉でしょう。イエス様はこの後、十二人の弟子たちを、宣教のために派遣します。十二という数字は、何かキリストの教会をも想像させられます。弟子たちは、そしてキリストの教会は、己の弱さに気づかされた者たちです。それ故に、そんな彼らだからこそ、悔い改めの宣教に相応しいと、イエス様は思われたのかも知れません。実際、後の宣教者のパウロが、今日の第二日課2コリント12章9節で次のよう告白しています。『すると主は、わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ、と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう』。

 今日の福音書で宣教に派遣される弟子たちは、まず『汚れた霊に対する権能』を授けられました。汚れた霊とは、人を孤独にさせるものです。弱さを知るが故に、孤独から解放された弟子たちだからこそ、イエス様の宣教に用いられるのです。そして、杖一本の他には何も持たない。パンも持たない。袋も持たない。お金も持たない。ただ履物は履いて、下着は1枚だけ。これらはまさに、ひたすら弱さを象徴するものです。そして弟子たちを迎え入れようとしない所に対しては、証しとして、足の裏の埃を払い落とせと言われた。それは、そこに留まることが目的になったり、宣教以外の知恵で、そこに留まることが無いためだという。気が付けばいつでも、あの故郷の人たちのように、知っていると言っては、知らない者を裁き、イエス様なら、こうするはずだ、ああするべきだと指図までして、強い自分がまた、頭をもたげて来てしまう私たちだからです。

 主よ絶えずこんな私が、悔い改めて、子どものようになるように、そしてそんな自分を、あなたの宣教の御業にもう一度用いて下さい。

聖霊降臨後第8主日

『あのヨハネが、生き返った』マルコ6:14-29

今日の福音書は冒頭『イエスの名が知れ渡った』で始まっています。何故、知れ渡ったのか。それは色々に想像させられますが、少なくともこの場面で言えるのは、今日の福音書の直ぐ前の所から推測します。マルコ6章12-13節『十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした』。イエス様が十二人の弟子たちを、悔い改めの宣教のために派遣したということです。それが、イエスの名が知れ渡る、一つのきっかけになったと、考えられるわけです。ところがまた一つ驚かされるのは、この時、人々に直接宣教したのは、弟子たちです。それなのに、弟子たちの名が知れ渡ったというよりも、イエスの名が知れ渡ったと聖書は記すのです。

これは、今もキリストの教会に連なり、宣教の使命を託されている者としても、色々と考えさせられます。弟子たちは自分の中にも、何も誇るものを持たず、イエス様に救われた自分の中は、ただ100%イエス様のみに満たされていたんだろう。そして、こんな自分を通して、イエス様だけが現わされて行ったのだ。自分はただイエス様が現わされる器として、用いられたに過ぎなかった。先週も引用しましたが、キリスト教会初期の伝道者パウロが、次のように告白していました。2コリント12章9節『すると主は、わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ、と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう』。迫害する者から宣教する者へと創り変えられ、用いられたパウロだから、このように告白出来る言葉だとも思われます。

そんな弟子たちを通して、示されたのでしょう、人々は次のように言っていたということです。マルコ6章14節『洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行なう力が彼に働いている』。しかしここで、何故、洗礼者ヨハネが持ち出されたのだろうか。これも色々と考えさせられます。そして、やはり、直接的なことを言えば、十二人の弟子たちは、悔い改めの宣教をしたという、ここに理由があるのだろうと思われます。洗礼者ヨハネが登場した時、聖書は次のように記しております。マルコ1章4節『洗礼者ヨハネが現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた』。『悔い改め』というところで、恐らく人々の間に、ヨハネとイエス様が結び付いたのだろうと想像します。そして『洗礼者ヨハネが死者の中から生き返った』というのは、単に似たような人が登場した、という軽いものではなかったようにも思われます。と申しますのも『だから、奇跡を行なう力が彼に働いている』と、更に人々が言っているからです。これは、父なる神様の力に拠って、ヨハネが生き返ったのであって、だから同じその父なる神様の力が働くから、奇跡を行なうことが出来る、ということでしょう。姿かたちに捉われないで、神の力が働いているから、本当の生き返りだと、人々は思ったのではないかと示されます。

そんな人々の真剣だと思われる、ヨハネの生き返りの噂を、この地域の時の領主ヘロデは聞いたのです。そして言いました。マルコ6章16節『わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ』。この時のヘロデの心境は、どんなものだっただろうか、興味深いのです。そのために、ヨハネが殺された経緯が、この後に記されてあります。概観します。ヘロデは、律法に違反する形で、自分の兄弟の妻と結婚した。それをヨハネが咎めたので、彼を逮捕監禁した。それでもヘロデは、ヨハネが『正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていた』ということです。しかし結婚相手のヘロディアは、ヨハネを疎ましく思っていた。そしてヘロデのヨハネに対する扱いから、手を出せないでいた。ところが、ヘロデの誕生パーティーで、連れ子の娘がパーティーを盛り立てたので、ヘロデは娘に、願いを何でも聴いてあげると約束した。そこで母と相談した娘は、ヨハネの首を求めた。それを聞いたヘロデの反応です。マルコ6章26節『王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった』。それで、ヨハネの首を跳ねさせて、殺したわけです。自分を糾弾したヨハネですが、それでもヨハネを遠ざけずに、むしろヨハネから話を聞く機会を設けていた。そしてそれなりに反省もし、ヨハネを尊敬するヘロデでした。それでも、自分の地位や名誉や財産を守る誘惑には勝てずに、ヨハネを殺してしまった。多少の後悔もあったのかも知れません。そんな中で、ヨハネの生き返り聞いた。このように、特別にヨハネと関りを持ってしまっていたヘロデにとっては、ヨハネの生き返りの噂は、激しく心を揺さぶったのではないか。復讐を恐れるのか、殺人者にならなくて良かったと、ホッとするのか、どっちに転んでも、彼にとっては、この生き返りは、真実味を帯びてしまっていたのではないか。

この時のヘロデの心境について、ルカ福音書にも、次のように記されてあります。ルカ9章9節『ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。そして、イエスに会ってみたいと思った』。そしてルカ福音書では、実際にイエス様に会ったヘロデが描かれてあります。それはイエス様が十字架に掛けられる直前の時でした。ルカ23章8節『彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである』。最後は、何も反応しないイエス様に興味を失ったのか、それまで敵対していた、ローマ総督のピラトと、その日に仲良くなったと聖書は記しています。そのピラトが、イエス様を十字架に掛けたわけです。ヘロデはイエス様との出会いに、何を望んでいたのか。単なる興味本位になってしまっていたのか。結局、傍観者的に奇跡を見物したかったようです。

今日の福音書から、洗礼者ヨハネと時の領主のヘロデとの関りを見てまいりました。その発端は、十二人の弟子たちが『出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した』ことからでした。そしてヘロデにとっては、深く関わった、洗礼者ヨハネの生き返りに、真実味を帯びさせられた。それ程に、自分の弱さを自覚して、ただ、イエス様の力が働くように、自分をイエス様に明け渡した弟子たち。それが彼らの悔い改めの宣教だった。そして、そんなイエス様の宣教に触れる者もまた、自分の弱さを自覚させられる時、自分が期待するイエス様とは違うけれども、本当のイエス様に会うことが赦されるのではないか。ヘロデだったらそれは、ご復活の主かも知れない。

そして同時に、裁いて見捨ててしまったけれども、実は自分にとって大切なものを、復活の主はもう一度、それを生き返らせ、出会わせて下さるのではないか。

聖霊降臨後第9主日

『飼い主のいない羊』マルコ6:30-34,53-56

今日は、説教題が『飼い主のいない羊』となっています。それでまずは、実際の『飼い主のいない羊』のような有様とは、どんな状態なのか、ある注解書ではこんなふうに説明されてありました。羊飼いが見えなくなってしまうと、羊たちは行き場を失ってしまうかのように、オロオロと落ち着かなくなるそうです。それで、怖くなって右往左往している間に、天的に襲われてしまうということです。とにかく、羊飼いによって、居場所が定められ、安心と安全が確保されるので、群れは落ち着くのです。今日の福音書では、イエス様を追いかけて来た大勢の群衆が『飼い主のいない羊のような有様』だということですから、人々の様子も右往左往するような、とにかく必死で助けを求めて、あたふたとしているように想像させられます。更に具体的に、人々はどんな問題を抱えていたのか、それが今日の福音書では、34節から中抜けして、わざわざ53節以降に飛んで教えてくれます。『・・人々はイエスと知って、その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った』。

『飼い主のいない羊のような有様』とは、とにかく必死で癒しを求める有様、ということのようです。がしかし、それだけではないようにも思います。イエス様はこの時、深く憐れんで『いろいろと教え始められた』と記されてあるからです。この『教え』には、肉体的な癒しも含まれるのでしょうが、言わば魂の癒しもあるはずです。大勢の群衆が大挙して、イエス様を追いかける。我先にと、人々の間は競争状態になるでしょう。そうしますと、いわゆる強いものが優先されてしまうでしょう。弱いものは、何時まで経っても、後回しになるのでしょう。こうして人々の間には、格差や差別みたいなものが生まれるのです。そしてそこから、社会的な分断にまで拡大するのでしょう。このような状態もまた『飼い主のいない羊のような有様』と聞くのです。このような有様は、まさに現代社会も同じようだとも、思わずにはいられません。そしてまた、安心安全を保障してくれる飼い主と言えば、強いリーダーシップを持った、一人の指導者を思い浮かべます。しかし、私たち人間の歴史の中で、果たしてこのような強い指導者が、安心安全という平和を実現して来たでしょうか。そうでは無いことも、歴史から学ばせられます。世界は今、いわゆる民主主義国家と、専制君主国家との、対立状態にあるとも言われます。しかし同時に、どの国も、その国内を見れば、やはり経済的格差や、政治的対立と分断が起こされています。だからどの国が良いとか悪いとかは言えないのではないか。

では聖書が言う『飼い主』のような方とは、どんなお方なのでしょうか。まず『飼い主のいない羊のような有様』を『深く憐れ』んだと、聖書は記しております。これはギリシア語では『スクラグ二ゾマイ』と発音する言葉です。直訳しますと『はらわたが揺り動かされる』という意味です。ちなみに聖書では、この言葉の主語は、いつもイエス様です。とにかく、この有様を、はらわたが揺り動かされる位に、深く憐れんだ、ということです。自分自身がまさに同じような有様の状態にあるという、尋常ではない共感の姿、このようなお方なのです。そしてマルコ福音書はこの後、五つのパンと、二匹の魚から、五千人以上の人々が満腹させられたという出来事を記します。来週の主日礼拝では、ヨハネ福音書が描く、このパンの出来事が与えられています。しかしこのパンの出来事の中にまた、聖書が言う『飼い主』のようなお方が、示されていると思うのです。

このパンの出来事を概観します。イエス様を求めて来た大勢の人々を目の前にして、食事時になったので、人々を解散させて、それぞれが自分で、食事の算段をさせるように、弟子たちはイエス様に進言します。しかしそれすらも、出来る人間たちと出来ない者たちとの格差が生まれるでしょう。だからイエス様は、弟子たちが人々に食事を振る舞えと言います。しかし弟子たちは、ここには五つのパンと二匹の魚しかないから無理だと拒否します。そこでイエス様が、そのパンと魚を受け取って、天を仰いで賛美の祈りを唱えながら、次々と引き裂いたパンを、弟子たちに配らせます。人々は百人ないし五十人のグループに組み分けられていて、分配されたパンと魚をいただくと、全ての人が満腹したというのです。分配されるパンと魚の出どころは、イエス様からです。しかし、人々が知る分配してくれる人は、弟子たちです。イエス様は表に出ないかのようです。強い指導者たる飼い主は、通常は目立つものです。また目立たなければ、いわゆる権力を振るえないからです。しかしイエス様は、真逆です。表向きは、弟子たちが指導者のように見えます。ですが、むしろ弟子たちは協力して、ひたすら分配に励むようです。五十人、百人のグループが、少なくとも十以上は有るはずですから、協力せざるを得ません。そこで弟子たちの間での、権力争いがあれば、立ち行きません。弟子たちの間でも、色々な考えや、異なる価値観があるわけです。ですから、対立が生まれても、仕方が無いでしょう。しかし分配という奉仕に与ることにおいて、一つとさせられているのです。そこには、人々には見えないけれども、イエス様の熱心な祈りと振る舞い、そして熱い共感を知る弟子たちを通して、イエス様の力が働いているからです。グループ内の人々の間でも、様々な争い事が起こっても不思議ではありません。しかし人々も、そんな弟子たちの、イエス様と同じような熱心な姿を見て、共感させられる人たちもいたのではないか。我先にという、弱肉強食の中を生きている人間たちですが、それでもここはむしろ、そんな対立や格差は、次第に失せさせられて行ったのではないか。人々にも、弟子たちを通して、イエス様の力が働くかのようです。

今日の第二日課の、エフェソ2章14節を引用します。『実にキリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し』たと言います。民主主主義国家陣営と、専制君主国家陣営との分裂、保守とリベラルとの対立、強者と弱者の格差、差別状態にある世界。まさに『飼い主のいない羊のような有様』。そして今、キリストの『あなた方が養いなさい』という声が、教会に向けられている。しかし『どうすることも出来ない。無理です。無力です』と、あの弟子たちのように、答えざるを得ない。キリストは『無力なりにも、そこにどんな力が与えられているのか、捜しなさい』と語り掛ける。ありのままに、持っていそうなものを、捜してみる。そんな教会のためにも、主は賛美と祈りをもって、必要なものを分配出来るように、与えて下さると信じます。

今もって『飼い主のいない羊のような有様』に、立ち往生せざるを得ない教会。それでも主よ、あなたは、この有様に向けて、その第一歩を踏み出すように、キリストの教会を用いて続けて下さいます。それにまた応え続けさせていただきます。

聖霊降臨後第10主日

『世に来られる預言者』ヨハネ6:1-21

今日の福音書では、5節に『ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた』とあります。それぞれの国でも、大切なお祭りがあると思います。それらは、神様や仏様による、人間の救いの出来事を記念するものが多いのでしょう。従って、宗教行事とも言えるでしょう。この過越祭は、ユダヤ人三大祭り(他には五旬祭、仮庵の祭り)の一つと言われています。こうして、神様の救いを忘れないようにして来たのでしょう。イエス様が十字架に掛けられたのは、この過越祭の時でした。ちなみに日本の三大祭りは、祇園祭、天神祭、神田祭だそうです。

過越祭を解説します。紀元前13世紀頃のことですが、エジプトに住み着いていたユダヤ人が、エジプト王による迫害を受けることになります。ユダヤ人の人口が増えすぎて、それをエジプト王は危惧したからです。それで聖書の神様は、モーセを指導者にして、ユダヤ人たちをエジプトから脱出させたわけです。この出来事をユダヤ人たちは、民族最大の救いとして、記念するようになりました。これが過越祭の起源です。このことは旧約聖書の出エジプト記に記されてあります。その12章には、新共同訳聖書では『主の過越』という小見出しが付けられてあります。エジプトを脱出する際の食事の事が、細かく規定されてあります。小羊を屠って、その肉を焼いて食べるわけですが、そこから取った血を、自分たちの住む家の鴨居に塗っておく。出エ12章13-14節『あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない』。この食事には小羊の肉と血、そして酵母を入れないパンが使われます。この祭りの時に十字架に掛けられるイエス様は、その死の前に弟子たちと、過越祭の食事を取りました。これが最後の晩餐と言われているものです。その時の様子をマルコ14章22-24節から引用します。『一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。取りなさい。これはわたしの体である。また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である』。

ユダヤ人の過越祭は、ユダヤ人だけの救いを記念します。しかし最後の晩餐で示された、イエス様の言葉と振る舞いは、御自分の体を過越しの小羊として、差し出すと暗示されたのです。それが、この後引き起こされた十字架の死でした。そして復活します。その意味は、ユダヤ人を超えて、全ての人間の災いが過ぎ越されるという、救いのためでした。今日の場面では、まだ十字架の出来事以前の時です。がしかし、イエス様はそんな過越祭を意識しつつ、それを超える御自分の十字架の出来事を念頭に置いて、今日のパンの出来事を起こされるようです。当時の人々には、その出来事の意味は分からなかった。今の私たちには、何が分かるでしょうか。

今日の場面は、ガリラヤ湖畔の町のカファルナウムから、ティベリアスという町に渡った所から始まっています。カファルナウムはイエス様のガリラヤ伝道の拠点(マタイ9:1,マルコ2:1)でした。ティベリアスはガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスによって建設された町で、ローマ皇帝ティベリウスの名にちなんで命名されました。ガリラヤ湖もティベリウス湖と呼ばれるようになりました。ガリラヤの首都になり、ユダヤ人たちはその名を嫌いました。言わば典型的な、異邦人を象徴するような町だからです。しかしその二つの町を行ったり来たりするイエス様は、ユダヤ人と異邦人の、両方のための御自分であることを示唆するようです。そしてイエス様はそのティベリアスという町で、五千人以上の人々にパンを与えたということです。それはあたかも、異邦の地エジプトで起こされた、脱出というユダヤ人の救いの出来事にも重なります。その際に、弟子のフィリポを試みました。その試みは、過越祭を超える、イエス様の過越の業を、見抜くことが出来るか、との試みだったでしょう。それは当時のフィリポには無理でした。だからこそ、その試みは、今のこの私たちに向けられているのです。

五千人以上の人々のパンを、どこで買ったらよいのかを尋ねられました。フィリポは一生懸命、常識的な理屈と計算で、パンを用意するのは無理だと結論付けた。しかしイエス様の中には、あのエジプト脱出を果たした後、目的地のカナンに向かう途上で、食べ物や水が無いと言って、折ある毎に不平を言い続けた、ユダヤの民のことが念頭にあったでしょう。人々の不平を聞いた神様は、マナと呼ばれるパンを天から降らせました。今日のこの場面では、イエス様はいきなり、天からパンを降らせなかった。人間抜きには、イエス様の業は起こされない。この場面では、大麦のパン五つと二匹の魚を持っていた、少年をお用いになる。しかし弟子たちは『こんなに大勢の人では、何の役にも立たない』と言っていた。にもかかわらず、みんなが満腹するまでになった。大麦のパンは貧しい人たちが食べるもので、しかも大人ではない少年のもの。このようにイエス様の業は人間を用いるにしても、極めて小さく、わずかなものから、極めて大きく、大量になるようにする。ここにも、過越祭を超える、イエス様の過越の業の一端を、見させられるのです。

それでもその場の人々は、奇跡だと思ったのでしょうか『まさにこの人こそ、世に来られる預言者』だと言いました。これは申命記18章15節からの言葉です。申命記は出エジプトの旅の最終地点で、約束の地カナンを目の前にしたモーセの、言わば説教集と言われます。その中の一つとして、ユダヤの民の中から、モーセのような預言者が、将来登場すると、預言されたものでした。人々はこのイエス様が、あのモーセが預言したお方だと思ったのでしょうか。モーセは王様のようでもありましたから、人々はイエス様を、王様に祭り上げようとした。しかしイエス様はそれを拒否する。イエス様の奇跡の業は、御自分の名誉のためには行われない。ここにも、過越祭を超える、イエス様の過越の業の一端が示されているのです。

そしてまた弟子たちは、ティベリウスから活動拠点の、カファルナウムに戻ろうと舟に乗った。ところがその途上で、嵐に遭った。イエス様はその時、一緒では無かったが、湖の上を歩いて、舟に近づいたという。弟子たちはそんなイエス様を恐れた。その時、イエス様は言われた。『わたしだ。恐れることはない』。それで弟子たちはイエス様を、舟に迎え入れようとしたようだが、乗ったかどうかは聖書は記していない。そしてまた『舟は目指す地に着いた』と記しているが、具体的にカファルナウムとは記されていない。いずれも、それらは二の次のように扱われているようです。イエス様が舟に乗っていることよりも『わたしだ。恐れることはない』との言葉さえあれば、それで弟子たちは安心する。更には、弟子たちにとっては目指す地は、カファルナウムかも知れない。それはあのモーセに従ったユダヤの民も、約束の地カナンが目指す地だったように。しかしイエス様が指し示す目指す地は、具体的な地名を記さないで、他にあるかのように、聖書は余韻を残している。ここにも、過越祭を超える、イエス様の過越の業の一端が表されていると思うのです。

過越祭を超える、イエス様の過越の業の全てを、今の私たちも、キリストの教会によって、見抜かせて下さい。