からし種 428号 2025年1月

待降節第1主日

『いつも目を覚まして』ルカ21:25-36

今日から教会独自のカレンダーでは新年になります。礼拝で読まれる福音書も原則、ルカ福音書になります。通称、ルカ年と呼んでおります。礼拝堂にはクリスマスツリーとアドベントクランツも配置されます。アドベントというのは、ラテン語由来です。直訳すれば『こちらに向かって、やって来る』という意味です。誰がやって来るのか。救い主です。もっと言えばイエス・キリストです。いわゆるイエス様が、救い主としてやって来る。それを待つ期節ということで、待降節と日本語では呼んでいます。そしてやって来られた日が、クリスマスです。同時に大切なのが、そのイエスが、キリスト救い主だと気づかされることです。

幼稚園では一足早く、先月の11月に入ってから、クリスマスをお祝いする、降誕劇の練習が始められました。クリスマスページェントと呼んでいます。一月ほどの練習期間になります。来週の13日が本番です。今週と来週はまさに、追い込みになります。園児たちは劇の練習が終わって、自由遊びの中でも、覚えた台詞を唱えたり、讃美歌を歌ったりしています。この時期は私の頭の中も、けっこう園児たちの賛美の声が、ひっきりなしに響いています。劇の始まりの賛美歌ですが一番だけ、ここで紹介させていただきます。『かみさまのおやくそく』という題名です。

 昔ユダヤの人々は、神様からのお約束、尊い方のお生まれを嬉しく待っておりました。

救い主がやって来るよという、神様の約束の言葉がありました。それを何百年も待っていた、ということです。教会カレンダーの一年の始まりは、まず『待つ』ことから始まるのです。そしてやって来るお方は、それが第一回目です。第二回目は、先週と先々週の礼拝でも聖書から聞きました。イエス様の再臨と呼ばれるものです。待っていた再臨が成就した、それを終末とか最後の審判とか呼んでいます。待っていた再臨は、カレンダー上では成就したわけですが、今の私たちにとっては、相変わらず再臨を待っている状態です。教会のカレンダーは『待つ』ことに始まって、言わば『待つ』ことで終わる。『待つ』というのは、キリスト教会にとっては、信仰生活の根本だと言えるでしょう。『待つ』生き方が問われます。あるいは、生かされる意味は『待つ』ことに示されているのです。

 先程申し上げた再臨の話は、先月の11月17日の礼拝で、詳しく触れました。再臨の際には、戦争や天変地異といった、破滅的で絶望的な状態が、展開されるように聖書は伝えます。しかも、人々を惑わすような偽預言者も登場する。しかし、そんな人々に惑わされないようにと、イエス様はおっしゃられる。そして言います。マルコ13章32-33節『その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである』。目を覚ましていると言う生き方についても、次のように申し上げました。見えるものを、絶対化しない。いつも相対化するように『そういう見方もあるかも。でも、こんな見方もあるよね』という声に、謙虚に聞いて行く。そして見えるものに、揺り動かされない。そんな『待つ』生き方が示されます。

 今日のルカ福音書も、直接的には、やはりイエス様の再臨を扱う所です。戦争や天変地異といった、破滅的で絶望的な状態が展開されるようです。しかしここでは、破滅と絶望では終わらないと聞くのです。必ず救いの希望が示されるのです。いくつか聖書箇所を引用します。ルカ21章28節『このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ』。『身を起こして頭を上げなさい』と言います。まさにうなだれる絶望ではなく、希望に向いていることを指し示します。31節『あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい』。33節『天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない』。『目に見える天地は滅びる』と言いながらも、最後のしめは『滅びない』で終わっています。それこそ、象徴的です。まさしく『神の国』です。そしてここは『いちじくの木』が、譬えに用いられています。いちじくは、周囲がまだ冬の様相を帯びている時に、小さな若芽を出し始める木だそうです。目に見えないところで、確実に季節の移り変わりを示す木として、知られているのだそうです。

 先週11月24日の日経新聞朝刊に掲載された、生命科学者の中村桂子さんのエッセイに目が留まりました。一部引用します。『生きもの研究の世界にいると幸い異分野の方とのおつき合いが楽しめる。私たち人間は生きものであり、生きものと無関係な分野はないからだろう。最近、土と木に注目するお仲間ができた。・・昨年、大地の再生技術研究所、の矢野智徳さんとの対談後、日比谷公園を歩いた。庭づくりの基本は水脈と土中の空気の流れにあり、今の造園、農業、土木などはそれを壊していることに気づいた方だ。この木は弱っている。このゴミ箱を見なさい、と指された先は、泥がはねていた。土が固くなって水が吸い込まれず木が弱るのです。日比谷公園でゴミ箱をしみじみ眺めたのは初めてだった。・・次いで、矢野さんを先駆者として尊敬しながら独自の活動を進めている高田宏臣さんと出会った。土地に豊かな息吹を取り戻す、地球守、という活動の中で、今の災害復旧が、その土地に代々暮らしてきた人たちと土地との繋がりを奪っていることに気づいたと言う。画一的でなく、それぞれの土地を傷めずに安定させてきた伝統的な民間土木の知恵を活かす必要があると、熱をこめて語って下さった。・・もうお一方は、九州で小さな土建屋さんを営む小原文男さんだ。今の土木は何か違うと感じ、土、水、木に注目し、それぞれの土地に合った仕事を目指している。・・自社開発の3次元高度測量技術で土中や山の実態を調べ、そのデータに基づいた土木を進める若い人たちが、新しい土木を進めていて頼もしい。・・私たちは生きもの、風と水と土と木を感じながら生きるのが本来の姿と思い、すてきな仲間の応援を楽しんでいくつもりだ。あなたの名前は木偏に土二つですものね、と言ってくれた方もいらっしゃるので』。

 地球温暖化、脱炭素、プラスチック廃棄物と言った言葉が、毎日溢れている中で、何か気がめいって下を向いてしまいそうですが、それでもこの今を生かされるために、大地に目を留め、気づきを与えて下さる、新しい働きを知らされ、何かもう一度希望が与えられる思いがしています。今日の福音書の最後です。36節『しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい』。『目を覚まして』に続く『祈りなさい』という言葉に励まされます。今日の第二日課は、第1テサロニケですが、次の箇所も思い起こされます。5章16-18節『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです』。

 第一の救い主の到来は、幼子の姿です。まさに希望の塊を象徴します。そして第二の到来の姿にも、少なからず当てはめられるように思います。私たちもこの待降節を、それに相応しいように過ごしてまいります。

待降節第2主日

『悔い改めの洗礼』ルカ3:1-6

今日の福音書の冒頭は、歴史上実在した人物たちが登場します。これによって、当時の年代が割と正確に類推出来ます。大体、紀元28~29年頃になるようです。そして注目させられるのは、ティベリウス、ピラト、ヘロデ、フィリポ、リサニアと、これらの人物はいずれも異邦人です。ユダヤ教からすれば異教徒扱いです。従って罪人です。また最後に記されている、アンナスとカイアファは、ユダヤ教の大祭司です。もちろん異教徒ではありません。しかし、イエス様の宣教活動あるいは、使徒と呼ばれる初代教会の、信徒たちの活躍の期間を通じて、キリスト教に反対した大祭司です(ヨハネ18:13,11:45-53,使徒4:6)。これらのことから示されるのは、当時のユダヤ社会は、ローマの植民地下にあり、汚れていると見なした異教徒の支配下にあった。ですからユダヤ人にとっては宗教的には、あってはならないことでした。しかしだからと言って、それで全く深刻な社会状況に置かれていた、ということでも無かった。もちろん自分たちの国と支配者を、渇望はしていました。それが、いわゆる救い主の待望という形で、言い表されて来たわけです。しかし現実を考えますと、それなりに平和と安定をも、謳歌していたとも思われます。特にユダヤ教の支配階級は、大祭司もそうですが、同胞のユダヤ人には独立を望むふりをしながらも、現実はローマの庇護の下に、安寧を得ていたのでしょう。ローマの宗教政策は、寛容だったようです。ですから、やれ異教徒だの、罪人だのと、表立って言わなければ、それはそれで平和に、やり過ごすことも出来た。いわゆる本音と建前的な信仰生活を、少なからぬ人々は、送っていた。もちろん、いわゆる熱心な人たちは、それを良しとしてはいなかったでしょう。

そんなユダヤの社会状況の中で、それを良しとしていなかった、熱心なユダヤ教徒として、ヨハネが登場するわけです。『ザカリアの子』ということです。お父さんは祭司でした。今日の交読文はその『ザカリアの賛歌』と呼ばれるものです。新共同訳聖書の小見出しでは『ザカリアの預言』となっています。『賛歌』と呼ばれる程に、教会で歌い継がれて来た理由は、ヨハネ誕生の経緯にあるでしょう。ルカ1章5節以下にその経緯が記されてあります。

自分も妻も高齢で、もはや子は与えられないと思っていた。そんな時に、大勢の祭司がいる中で、一生のうちでも、ほとんどの祭司が与ることの出来ない任務に、ザカリアはくじを引いて当たった。彼はその時、そのことのために、どこまで神様の働きを意識したかは分かりません。そしてその特別な任務についていた時、神様から子が与えられることを告げられた。しかし彼は祭司でありながらも、それを疑い信じることが出来なかった。そのため、子が産まれるまで、口を利けなくされた。それは祭司としては、不名誉なことでした。更には、生まれる子の名前は、ヨハネと名付けるようにと言われた。本来、名前を付けるのは父親の役目でした。ここでも、父親としての面子をつぶされた。そして神様の言葉通り、ヨハネは誕生した。ザカリアは、祭司として神に仕える者でしたが、振り返れば、全て主人公は神様であることを、公私に渡って、改めて思い知らされた。そして祭司でありながら、神様の言葉を疑ってしまった自分を顧みた。それでも、こんな自分を用いて、神様はご計画を果たして下さる。そんな神様に、思わず賛美の告白が、自分の内からほとばしり出て来た。それが『ザカリアの賛歌』なのです。

ヨハネはそんな父の下で成長した。祭司階級の父は、ローマの支配に媚びれば、安泰の生涯を送れたでしょう。しかし、それをしなかったのかも知れません。そんな父の背中を見ながら、いつしか、本音と建前がはっきりと使い分けられている、当時の社会の状況を憂いる者となった。そんなヨハネに、神の言葉が荒れ野で臨んだ。荒れ野は、人間的な助けとなるものは何もない。頼るものは目に見えない神様のみ。いわゆる神と富とに兼ね仕えるように、上手に使い分けられてしまっている、人々の本音と建前を、一つに集約するように、ヨハネは悔い改めの洗礼を宣べ伝えたのです。既に行われていた当時の洗礼は、いわゆる汚れを取り除くための、洗い清めの儀式でした。それをヨハネは、そんな形式的ではない、悔い改めと結び付けたのです。悔い改めとは、ギリシア語原文では『ハマルティア』と発音します。意味は『心を変えること・考えの変更・立ち戻り・向きを変えること』ということです。建前では、神様の方に向いているふりをしている。しかしそんな嘘っぽいことではなく、もはや本音で、神様の方に向きを変えよ、というわけです。だからと言って、聖人君子のようになれ、と言っているわけではない。神の前にあっては、正直にありのままにいなさい、ということです。

荒れ野で宣べ伝えたヨハネの有様を、預言者イザヤの書に書かれてあることだと、今日の福音書は記しております。それはイザヤ40章3-5節からの引用です。この言葉が書かれている直接的な時代背景には、ユダヤ民族最大の神の裁きと言われる、外国のバビロニアの侵略がありました。主だったユダヤ人たちが50年に渡って、バビロニアに捕囚の民として、連れて行かれてしまったのです。そしてその異教徒の国から、もう一度故郷のイスラエルに帰還することを、預言者のイザヤが荒れ野で叫んだのです。それがこの引用の言葉なのです。歴史的にはその後、ユダヤの民はイスラエルに帰還することになりました。しかし今日の福音書は、その帰還はまだ果たされていない、と言うようです。バビロニアに侵略された時も、人々の信仰は、本音と建前とに使い分けられていた。そしてバビロニアでの外国生活では、古臭い宗教的価値観から離れて、むしろ発達した文化にどっぷりつかり、快適、効率、便利を謳歌するにまでなっていた。そんな状況は、今はイスラエルの地に住んでいるとは言え、ローマの植民地下にあって、あのバビロニアの侵略下にあったことと、依然として同じではないかと、ヨハネは見ていたわけです。そして現代の私たちにも、似たような状況も、見られるのではないのか。

イザヤとヨハネの声です。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る』。谷、山と丘、曲がった道、でこぼこの道、これらは何を意味するのだろうか。即ち、疑い、あきらめ、開き直り、自分の筋書き、人間的可能性、人間的理屈、取り繕い、偽善、これらが谷や山や丘となり、曲がった道や、でこぼこの道にしている。これらを悔い改めて、一つの方向に向きを変えて、神の救いを仰ぎ見させていただきたいのです。待降節は、救い主の到来を待ち望む期節です。同時に、私たちが向きを変えるのを、救い主の神様もまた待っていて下さる、そんな期節でもあるのです。

キリストの教会によって、待っていて下さる主イエス・キリストの神様に、こんな私もありのままに応えさせて下さい。

待降節第3主日

『聖霊と火で洗礼』ルカ3:7-18

今日のルカ福音書の箇所は、先週からの続きの所からです。少し、先週の箇所を振り返ります。ルカ3章1-6節でした。当時のユダヤ社会は、ローマの植民地下にありました。ユダヤ人にとっては宗教的には、汚れた異教徒の支配にあったということです。しかしだからと言って、それで社会状況は深刻だったのかと言いますと、そうでも無かった。もちろん自前の国と支配者は、渇望していた。それが、いわゆる救い主の待望ということだった。しかし現実には、それなりに平和と安定も謳歌していたのではないか。特にユダヤ教の支配階級は、現実はローマの庇護の下に、安泰だった。ローマの宗教政策は、寛容だったからです。やれ異教徒だの、罪人だのと、表立って言わなければ、それはそれで平和に、やり過ごすことも出来た。いわゆる本音と建前を、うまく使い分ければ良かった。もちろん、いわゆる熱心な人は、それを良しとはしないだろう。

そんなユダヤの社会状況の中で、それを良しとしなかった、熱心なユダヤ教徒として、ヨハネが登場するわけです。人々の本音と建前を使い分ける信仰を批判して、悔い改めの洗礼を宣べ伝えたということです。その時のヨハネの言動が、その時代から数えて600年程前に活躍した、有名な預言者イザヤを思い起こさせたのでしょうか。イザヤも似たような社会状況に、置かれていたからです。人々は早速、ヨハネに洗礼を授けてもらいに出て来ます。しかしそんな人々に、ヨハネは本心からの悔い改めを、認めることは出来なかった。『蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか』と批判します。取り合えずヨハネの洗礼でも受けて、神の怒りをやり過ごそうやという、いわゆる厄除けのおまじない程度に、人々は考えているのではないか。どっちに転んでも、自分たちはユダヤ人なんだから、結局、裁かれることはないだろう、そんなふうに高をくくっていやしないか。そうだとすれば大間違いだぞ、ということでしょうか。

とにかく『悔い改めにふさわしい実を結べ』と、ヨハネは言います。『実を結べ』ということですから、一瞬の出来事のようではありません。時間がかかることです。口先で『はい、悔い改めました』では終わらないのだよと、ヨハネは言うようです。そこでさすがに人々も『では、わたしたちはどうすればよいのですか』と尋ねたのです。それに対するヨハネの答えが、印象的です。『悔い改め』を巡っての、信仰にも関わるようなやり取りをしているわけです。ですから、もっと熱心に神殿に詣でなさいとか、お賽銭をたくさん入れなさいとか、そんなふうに、信仰上の熱心さを表しなさいと、言われるのではないかと思うわけです。ところが、そんな信仰がどうのこうのと言うよりも、さらりと『下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ』と言うのです。何気ない日常の、あなたが今置かれている所の中での、出来そうなことを勧めるわけです。当たり前のことを、当たり前にやりなさい、ということでしょうか。でも一方で、当たり前のことを当たり前に出来ないのも、私たち人間だなあとも、考えさせられます。

この後、徴税人や兵士も同じように『わたしたちはどうすればよいのですか』と、尋ねています。そしてヨハネは、やはり同じように、それぞれが置かれた日常での所で、当たり前のことを当たり前にしなさい、と言うわけです。ちょうど先々週の12月4日は、アフガニスタンで支援活動をされていた、中村哲さんの召天5周年の、追悼式のことが報じられておりました。テロに巻き込まれて命を失った方です。その時の新聞記事に掲載された、中村さんの言葉が思い出されました。『私は、そんな、世界がどうのこうの、地球がどうのこうのだなんて言わない。自分の身の周りのことで、出来ることを考えます。一隅を照らす、という言葉が好きなんです』。当たり前のこともそうですが、一隅を照らすことも、出来そうで出来ないことも多いです。しかも、それを一時だけではなくて、ずっとやり続けるとしたら、更に難しいことだと思ってしまいます。でも中村さんは、一隅を照らし続けたからこそ、5年も経っても、更に照らし続けられているかのように、こうして世界中が追悼し続けているのかなとも思います。

今私たちは、馬小屋の飼い葉桶に、救い主としてお生まれになった、イエス様の誕生を記念するクリスマスを迎える、準備の時を過ごしております。これこそ神様の、一隅を照らす働きかなとも、考えさせられます。そのイエス様は将来、聖霊と火で洗礼を授けるお方だと、今日バプテスマのヨハネの言葉を、聖書から聞いています。何気ない日常の当たり前を、当たり前に行い続けることは、人間には出来そうで出来ない。神様の力に頼らざるを得ないのです。聖霊はまさにその力を、こんな私にも届けて下さるものです。更に、こんな私ですから、いつでも、当たり前から逃げ出してしまうものです。そんな時、イエス様の火が戒めるようにして、私に起こる悪いものを、焼き払って下さると信じます。そうやって、こんな私も、当たり前のことを、当たり前に行い続けるようにして下さると信じます。

キリストの教会によって、一隅を照らすようにお生まれになった、イエス様の誕生を、心から今年もお祝い出来るように整えて下さい。そしてこんな私も、イエス様の聖霊と火の洗礼によって、一隅を照らし続ける者へと、造り変え続けて下さい。

聖降誕主日

『憐れみは代々に』ルカ1:39-55

今日の福音書は『そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った』と、始まっております。その町は、エルサレムの西8Kmの、アイン・クリムという町のことで、ナザレから女性の足で、4日程かかる場所だったそうです。12、3才のマリアには、かなりきつい距離だったと思われます。それを急いで向かったということですから、覚悟溢れる姿をも想像されます。行った先は、親戚のエリサベトの家でした。何故、そこに向かったのか。エリサベトの事は、今日の福音書の直ぐ前の、いわゆる『マリアの受胎告知』と呼ばれて来た場面で、話題にされています。

結婚もしていないマリアに、子が産まれると天使から告げられた時、恐れていたマリアに向かって、天使は次のように告げました。ルカ1章36-37節『あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない』。自分に子が産まれるなんて、信じられないでいたマリアですが、このエリサベトの事を告げられ、決心が促されたのか。次のように言いました。ルカ1章38節『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように』。とは言え、エリサベトの所に行って、この天使の言葉を、しっかりと確かめようと思ったのではないか。

エリサベトの家に着いたマリアは、訪問の挨拶をしました。その時に、エリサベトの胎内の子が踊ったということです。このことは、何か特別なメッセージが、そこに込められているのだろうか。たまたま胎動が起こっただけなのか。ただ聖書はこの時、エリサベトが聖霊に満たされて、語った言葉だと記しております。聖霊に満たされて語られる言葉は、聖書では神様から示されたものだと言います。旧約に登場する預言者たちが、そのようでした。しかもエリサベトは、声高らかに言ったということです。これは、誰を憚ることなく、確信に満たされていたということです。ルカ1章42-43節『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう』。

このエリサベトの言葉の中に、いくつかの分からない所があります。まず、マリアの胎内の子が祝福されています、と言っています。マリアが既に、あの受胎告知の出来事を、エリサベトに伝えていたのかどうか。そうであればここで、マリアの胎内の子の事を話題にするのは、分かります。そうでなければ、人間的理屈を超えていると言わざるを得ません。聖霊に満たされていたエリサベトだからでしょうか。また更には『わたしの主のお母様』と言っています。60歳以上も年下のマリアに向かって言うには、あまりにもへりくだり過ぎた物言いです。しかも、マリアの胎内の子のことを『わたしの主』と言っています。これも、常軌を逸していると言わざるを得ません。ここにも、聖霊の働きを見よと言うことでしょうか。そして最後のエリサベトの言葉も不思議です。ルカ1章45節『主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう』。ここで言われる実現は、マリアにして見れば、最初はむしろ実現してほしくない事だったでしょう。いわゆる不倫の末の妊娠だと、言われるわけですから。しかしここでエリサベトが、このように告白させられたのは、高齢になって、しかも不妊の女と言われた自分に起こされたことと、未婚のマリアの身に起こされたこととからの、神様の言葉に対する、実に確信に満ちた告白に聞こえて来るのです。しかもここは、名も知れぬ二人の女性の身に、人知れず起こされた出来事のようですが、そこに大きな、天地創造にも匹敵するような神様の御業に、思いを馳せさせるような、そんな場面にも思えて来てしまうのです。それは、神の言葉によって、無から有を産み出す、あの天地創造のみ業です。結婚前のマリアに子が宿すことは、まさに無から有が起こされた、ということです。

何故なら、次のルカ1章46節以下の『マリアの賛歌』と呼ばれる所に、神様の大きな業への感動の告白が、込められているからです。ここはラテン語由来になりますが『マグニフィカート』と呼ばれて、9世紀頃から教会で歌い継がれて来たマリアの告白です。この告白を一言で言うならば、過去に神様が行った、数々の理屈を超えた働きを思い起こさせられながら(出エ6:1,申命3:24,etc)、マリア自身のことだけでなく、神様の同じような働きが、これからもイエス・キリストを通して、働かれ続けるというものです。無から有に、マイナスをプラスに、悲しみ苦しみを喜びに、死から生へと、そんなふうに人間的な価値観や秩序もまた、逆転されると告白するわけです。実は、1517年にマルティン・ルターを通して始められた宗教改革運動の初期の、1521年にそのルターが、一冊の『マグニフィカート』という書物を著しています。その序言から、所々引用させていただきます。『・・神は、創造のはじめ、無から世界を創造したもうたと同様に、・・神は同様なわざを、なおも間断なく続けていたもう。そして、現在から、世の終わりまで、神のみわざはかくなされる。すなわち、無であり、無価値であり、軽蔑され、悲惨な、死せるものを、彼はあるもの、とうときもの、名誉あるもの、祝福されたもの、生けるものとしたもう。・・いまや枯れ朽ちはてた株や根から、美しい枝や花が生ずることが、信ぜられない、期待されえない事であると同様に、処女マリヤが、かかるみ子の母となることは、ありそうにもないことであった。わたしが、彼女は株であり、根であるというのは、枯れた木株から超自然的に、枝が生じたごとくに、彼女が超自然的に、処女性のまま、母となったというばかりでなく、いま一つの理由によるのである。かつて、ダビデ、ソロモンの時、ダビデの王統、またその種族は、大いなる光栄と、権力と、富と幸運との中に繁栄し、この世の前にもさかえていた。しかし後世、キリスト来臨のころには、祭司たちはこの栄誉を、彼ら自身の手にうばいとり、ただひとり君臨し、かくしてダビデの王統は、貧窮と軽蔑との前に、死んだ木株のようであった。そこから再びひとりの王が出て、大いなる繁栄をきたらせるといった希望も期待もできなかった。そして、このような極度にみじめな状態の時に、キリストは来たりたもうた。・・かくのごとく、神の行為とかえりみは、低きに向かい、人間の目と行為は、高きにのみ向かうのである。これが彼女の讃歌の動機である』。

私たちも困窮の極みに陥ったり、世界も地球全体も、全てが無に帰す奈落の底へと、向かっているのではないかと思う時もあります。それはキリスト教会も、例外ではないのではないかとさえ、思ってしまいます。それだからこそ今日、マリアの賛歌は、そんな私たちを強く奮い立たせるよう、導いて下さる御言葉であり、その御言葉は必ず実現すると信じます。

横浜共立学園午前礼拝

『羊飼いたち』ルカ2:8-20

 まず、私が何者であるのかは、既にプロフィールに記されてある通りですが、少し付け加えさせていただきます。大学は農学部を卒業しております。それで、在学中に中学と高校の理科教師の免許を取りました。正直に申しますと、教師になるつもりは全くありませんでした。ただ取得できるものは、取り合えず、何でも取っておこうという理由だけで、取得しました。それから時を経て、牧師になりましたが、幼稚園の園長になることは、さらさら思っておりませんでした。ところが、二度目に赴任する教会が、戸塚ルーテル教会になりましたが、附属幼稚園がありました。教員免許があるということで、園長も兼任することになってしまいました。大した動機も無くて、教員免許を取りましたが、計らずもこんな所で、役立つことになってしまったわけです。あまり大きな声では言えませんが、園長資格があるとは言え、幼児教育は全く学んでおりません。見かけだけで、大切な中身は全く無いような園長でした。

 赴任当初は、教会での働きは三年程ですが、経験済みでしたので、何とかこなしておりましたが、幼稚園の子どもたちや保護者の皆さんには、最初はどのように対応したら良いのか、あたふたとしておりました。そんな中で、ある年中組の女の子の言葉に、衝撃を受けました。当時、園では園長は、5クラスある教室を、毎日順番に回って、昼食を一緒にいただくようになっておりました。その日はさくら組という、年中のクラスに行くことになっていて、お当番の女の子が私がいる牧師室に、呼びに来てくれたのです。私の部屋のドアが開けられた時、彼女は部屋の中を、ぐるっと見回しながら『園長先生、ここにある本は全部聖書?』と聞いて来たのです。私はあまり細かい事を言わずに『そうだよ』と答えました。彼女は『このお部屋の鍵は掛けるの?』と、続けて聞いて来ました。『そうだよ』と私は答えました。そうしましたら、すかさず彼女は『そうだよね。聖書の好きなどろぼうが、持ってっちゃうもんね』と言いました。私はこの言葉に、何とも言えない愛おしさを感じながら、彼女と教室に同行しました。そして後で、この会話をもう一度振り返りながら『子どもってすごいなあ。とても大人では、考え付かない事が言える。聖書が好きなどろぼうだって、いないとは言えないしなあ』と、考えさせられました。大人は経験を積んで、知識があって、何でも出来る。それに対して、子どもは幼稚で、未完成だと見なされがちです。でも、へたに色々な知識や価値観が入り込んでくると、先入観も出来上がって、返って大切なもの、本質的なものが隠されて、見えなくなってしまうものです。このことがきっかけで、園児たちと向き合うのに、何か不安で仕方が無かった自分が、裃の様なものを脱ぎ棄てて、徐々に園児と楽しむことが出来るように、仕向けられて行きました。

 前置きが長くなってしまいました。今日のクリスマス礼拝では、野原で羊の番をしていた羊飼いたちに、救い主がお生まれになった事が、知らされた場面が与えられております。『羊飼い』のことは、旧約聖書にもたくさん出て来ます。神様と人間との関係を、羊飼いと羊に譬えられていたりします。また、イスラエル民族の祖先であるアブラハムやその一族なども、羊をはじめとして何百頭もの動物を飼って、遊牧民のような暮らしをしていました。エジプト脱出を先導した、イスラエルの指導者モーセや、イスラエル統一王国を築いたダビデ王も、かつては羊飼いでした。羊は絨毯などを作る〝羊毛”のために飼われました。ときには羊の肉を食べることもあったようです。こんなふうに旧約聖書の時代、羊飼いは良いイメージでした。ところが時代が下るにつれて、羊飼いのイメージは悪くなって行きました。何頭も羊を飼っていると、生きものですから、定期的な休みを取ることはできません。だから羊飼いたちは、旧約聖書の律法に従って、安息日の礼拝に毎週行くことが出来ませんでした。新約聖書の時代になると、羊飼いはユダヤ人たちに好まれない職業となっていたのです。貧しく、学問が無いと見下され、動物に触れる、汚れた職業とまで言われるようになったのです。羊そのものの価値は、相変わらず大切なものなのに、それを飼ってくれる人間や職業は、見下されるようになっていた。似たような社会の現象は、現代にも、至る所に見受けられるのではないでしょうか。何がそうさせるのか。やはりここでも、利口になった人間の知識や、目に良く見える様々な価値観が、邪魔をしているのではないでしょうか。

救い主イエス・キリストの誕生を、羊飼いたちが、天使から告げられたのは、そんな時代背景の中でした。今日の聖書によれば、羊飼いたちは、突然の天使たちの登場に恐れたという。当然でしょう。自分たちのようなものに、まともに会話をしてくれる人間もいないのに、増してや神様から、声をかけられるはずも無いと思っていた。そんな彼らが何故『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせて下さったその出来事を見ようではないか』と、促されたのか。それは『あなたがた』という、直接的な呼びかけもあったし、何よりも『飼い葉桶』という言葉が、彼らの心の琴線に触れたのではないか。飼い葉桶は、他の人々にとっては、汚いものですが、彼らにとっては馴染み深い、大切なものなのです。そこに眠る幼子の救い主が『あなたがたへのしるし』だと言う。彼らが促される、これ以上の強い動機付けは、無かったのではないか。そして早速、彼らは『飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた』と言う。この表現にも、彼らの嬉々とした、熱い思いが伝わって来るようです。そして、天使が話してくれたことを、人々に知らせたのに、案の定、それを聞いた者たちは皆『不思議に思った』と、聖書は伝えています。しかしここは『怪しんだ』とも訳すことも出来ます。『どうせ、羊飼いの言うことなんか』といったニュアンスです。でも、彼らにとっては、もはやそんなことは、どうでも良くなった。何故なら『見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだった』からです。人々は相変わらず、自分たちとは、まともな会話をすることは無くても、神様はこんな自分たちでも、本当のことを話してくれる。これ以上の喜びは無いではないか。そして彼らはまた、神を賛美しながら帰って行ったという。どこへ帰るのか。元の羊飼いの仕事に戻って行ったのです。人々には未だ、見えないままになっているかも知れないけれど、そこに本当の大切なものが、備えられている羊飼いの仕事に、今まで以上に精を出すために。そして何より、愛して止まない羊たちが待っているのだから。

 新約聖書の中では一方で、そのようにユダヤ社会で、軽視されていた羊飼いについて、イエス様が次のようにおっしゃられています。『わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる』(ヨハネ福音書10・11)。このイエス様の言葉は、当時のユダヤ社会の指導者たちにとって、また、当時の社会的な価値観に対して、驚きを与えるものだったでしょう。この後、讃美歌二編188番を賛美しますが、一番と二番の中に次のような一節があります。

一番『・・御子はさきだちて、進み行かれる、友よ、いさみたち、御子に続けよ』

二番『・・神はひとの世に、御子を与えて、きみの立つことを、待っておられる』

これからも私たちは、それぞれに与えられた仕事や使命に与ってまいります。そして様々な知識や価値観の中にも、置かれ続けてまいります。そんな中にあって、それぞれに込められている大切なもの、本質的なものを見失ったり、ないがしろにしたりする、危険や誘惑にも晒されるでしょう。そんな時、私たちに先立って進まれる、良い羊飼いのイエス様によって、揺らぐことなく、導かれてまいりましょう。

横浜共立学園午後礼拝

『占星術の学者たち』マタイ2:1-12

 本日のクリスマス礼拝の案内の中に、1924年の関東大震災で被災したことをきっかけに、学園でのクリスマスページェントが始められた、とのことが書かれてありました。丁度100年目のページェントが第二部で行われるとのことです。ページェントと言えば、私が責任を持たせていただいている、戸塚ルーテル教会附属幼稚園でも、毎年、園児たちによりますクリスマスページェントが、行われております。今年は10月31日に役決めが行われ、11月5日から毎日練習を始めました。12月12日と13日の、二回に渡って保護者をお招きして、本番が行われました。役決めでは、それぞれ、なりたい役を表明してもらって、複数の人が重なった場合には、くじ引きで決められるわけです。いくつか人気の役があるわけですが、幼稚園では博士と呼んでいます、占星術の学者役も人気の一つです。絵本などを見ますと、身なりも恰好良くて、それこそ学者のようなたたずまいで描かれています。そんなところが、園児たちに人気となっている、理由になるのでしょうか。

 ところで占星術は、太陽、月、惑星の位置によって、個人や社会の未来の出来事を、前もって語るものです。19世紀以前は、占星術と天文学は未分化だったそうです。徐々に、占星術と自然科学との距離が離れていったということです。現代の天文学は、天体の位置や動きから、人間性格運勢国家の未来などを、予想することはありません。それにしても、占星術と天文学との関りを考えますと、学者と呼ばれても不思議ではないように思われます。実際、人々からは尊敬もされていたようです。ところが聖書では、いわゆる占いは禁じられています(レビ19:26)。例えばイスラエルの民が、奴隷状態だったエジプトから脱出して、約束の地カナン(パレスチナのこと)に入る間際に、神は彼らにカナンでは、異教的な占いの影響を受けないようにと、警告されました(申命記18:10,14)。

 そんな背景がある中で、今日のマタイ福音書に、占星術師が登場するのは、少し不思議な思いがします。そしてそんな彼らが、エルサレムに来て、ユダヤ人の王としてお生まれになった方の星を見たので、拝みに来たけれど、どこにいますかと、町中で尋ね回ったのです。ユダヤ教では忌み嫌われているような占星術師ですから、まともに対応されないと思いきや、人々も、そしてそこを支配するヘロデ王も、彼らの問い尋ねに、不安になったということです。しかも王は、律法学者に命じて、聖書を調べさせたというのです。まともに対応してしまっているのです。もっとも、占星術師は一般には、尊敬の対象にもなっていたようです。そもそもヘロデ王はユダヤ人ではありません。むしろユダヤ人を支配するために、信仰者を装っていたでしょう。だから律法学者も仕えさせていたわけです。ですから普通に、偉い人だなあと思う人には、それなりに応対するのでしょう。人間的な思惑や利害関係の充満した町ですから、宗教的な汚れがどうのこうのなんて、二の次なんでしょうか。

取り合えず、占星術師たちが星に導かれた事は事実です。そしてそんな町ですから、占星術師たちも占いの力を利用して、ヘロデ王たちを丸め込んで、王の権力を大いに利用することも出来たはずです。そもそも、現にいる王様に向かって、新しく王様になるお方が生まれたなんて、尋ねること自体、躊躇するはずです。ところが学者たちは『ユダヤ人の王として生まれた方は、どこにおられますか』と、堂々と尋ねるのです。純粋に『知りたいだけなんだ』という姿勢をも、強く感じさせられます。興味深いのは、彼らは星占いをして、人々に、ご託宣のように教えて導くのが、重要な仕事です。そんな彼らが、ここでは他人に尋ねて導かれる側にいる。これは驚きです。人間的な思惑や利害関係とは、真逆です。純粋に分からないことを尋ねて、居場所を教えて下さい、導いて下さいと、言っているからです。

ヘロデ王に命じられた律法学者は、聖書から示されたことを、正直に伝えます。ここはさすがに、嘘はつけないのでしょう。嘘をつけば、後で王様から、何をされるかは分からない。そんな自己保身も働いた、とも考えられます。聖書は真実を伝えます。しかしそれを読む人間たちは、相変わらず、思惑と利害関係に囚われているのです。そして王は、律法学者から伝えられたことを、学者たちに伝え『見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝む』と言います。嘘っぱちでしょう。でもこの時の学者たちは、見つかったら正直に、親切に情報をくれた王様の所に戻ろうと思ったことでしょう。そして最終的に星に導かれて、幼子に出会うことが出来た。しかし夢のお告げで、ヘロデの所には戻らず、別の道を通って、自分たちの国へ帰って行きました。何故、そんなお告げがあったのか、どうしてヘロデの所に戻ってはいけないのか、学者たちは疑問に思わなかったのだろうか。聖書は何も記しておりません。学者たちはきっと、疑問を持たなかったかも知れない。それぐらいに、ただ告げられたことに、ひたすら導かれて、最後まで忠実に従っただけだった。そんな彼らからは、相変わらずの導きだけに委ねる純粋さが、伝わってきます。人間的なものは、一切差し挟まない。導いて下さるお方の導きに信じ、ひたすらそれに従って導かれて行った。こんな彼らからは、何ものにも邪魔されることのない、一筋の光の力のようなものが、伝わって来るようです。一方、そんな彼らの周りの人間たちからは、相変わらず、人間的な思惑と利害関係が溢れ続け、純粋とは程遠い、どろどろとしたものを、感じさせられてしまうのです。

そんなどろどろは、更に大きく展開します。今日の聖書箇所の続きの、マタイ2章16節に次のように記されてあります。『さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた』。いわゆる『ヘロデの幼児殺し』と呼ばれているものです。ある人は、この時、イエス様がそこで生まれなければ、これらの幼児は殺されずに済んだのではないか。だからイエス様に殺されたのも同然だ、と言います。しかしある人は、イエス様がヘロデに見つかって、殺されずに済んだのも、人間的ものも含む、いかなる反対勢力も阻むことの出来ない、神様の確固とした救いの計画は、推し進められて行くものだと言います。どちらの意見に賛同するかは自由です。私は後者を取ります。

 この学園で行われるクリスマスページェントは、関東大震災の後に、それがきっかけで行われるようになって、100年目を迎えると、冒頭で申し上げました。神様は大震災を、何故起こされたのかと、もはや考えることはしません。大震災の後、この学園によって起こされたクリスマスページェントが、100年目を迎えてなお、行われ続けている。そこにも、一筋の光の力のような、揺るぎない神様の計画と働きが、示され続けていると私は信じます。そして今も、次々と災害や戦争も起こされ、多くの人達が困難を強いられております。それでも、イエス様の出来事によって示される、人間を思う愛の働きは、全ての人間たちの上に、関り続けていると信じます。先日、日本原水爆被害者団体協議会が、今年のノーベル平和賞を受賞され、12月10日に授賞式が行われました。そこには、平和大使としての高校生も参加されていました。13日の帰国会見での、一人の高校生の方の、会見の言葉が印象的でした。『自分たちが被災者から、直接証言を聞ける、最後の年代だと思います。証言をしっかり聞き取って、伝えられ続けて行くように、思いを新たにしています』。次世代への引継ぎと言う大切な働きが示されます。

 これからも何ものにも阻まれることなく、イエス・キリストの神様の愛の働きが続けられる。私たちと、そしてまたこの横浜共立学園を通しても、その働きのために用いられ、現わされ続けて行くのだと信じます。

聖降誕日前夜燭火礼拝

『天使の話したとおり』ルカ2:8-20

昨日23日は、横浜共立学園のクリスマス礼拝の説教者に招かれまして、共に礼拝に与る恵みをいただきました。その学園からのクリスマス礼拝の案内状の中で、1924年の関東大震災で被災したことをきっかけに、学園でのクリスマスページェントが始められて、今年で100年目のページェントが、礼拝後に行われると書かれてありました。当初は、活人画と呼ばれていたものだそうですが、舞台に立つ演者は、一切動かずに、ナレーションだけが語られます。まさしく生身の人間が絵画になっているというものです。このスタイルは100年間、全く変わらずに引き継がれて来ているということです。ところで関東大震災の被災状況は、記録フィルムでしか見たことがありませんが、地震による被災だけでなく、ちょうどお昼時で、各家庭で火を使っていた時間帯だったので、火災による被害も甚大だったということです。横浜共立学園に関係する生徒や先生方を始め、それぞれのご家族の中にも、大勢が被災されたそうです。また、関東一円が甚大な被害を受け、人々は大きな悲しみに打ちひしがれました。そんな中で横浜共立学園でも、少しでも人々の慰めと元気が与えられ、復興の御手が強められますようにと、震災は9月発生でしたが、そんな背景の中で、その年のクリスマスから、ページェントの祈りが行われようになったとのことです。これはお聞きしたことでは無くて、私が勝手に想像することですが、神様は何故このような大震災を、起こされたのかと、キリスト教会にも向けられ、横浜共立学園も、そんな声の中に置かれたことも想像されます。それでも、ページェントを始めて、そこから100年間も同じスタイルで続けられて来られているということは、震災後の人々の、復興に向けた歩みの中にこそ、私は、神様はまさしく働かれ続けていると思うのです。

今日のこの礼拝で与えられた聖書は、野原で羊の番をしていた羊飼いたちに、救い主がお生まれになった事が知らされた場面からです。羊飼いについては、旧約聖書では、神様と人間との関係が、羊飼いと羊とに、しばしば譬えられています。また、イスラエル民族が信仰の父として尊敬するアブラハムや、その一族も、羊などを飼う遊牧民でした。エジプト脱出を先導した、イスラエルの指導者モーセや、イスラエル統一王国を築いたダビデ王も、羊飼いでした。旧約聖書の時代は、羊飼いは良いイメージでした。ところが時代が下るにつれて、羊飼いのイメージは悪くなって行きました。何故か。羊は生き物ですから、休みなく世話をしなければなりません。だから羊飼いたちは、律法に定められている、一切仕事をしてはいけないという安息日律法を、守ることは出来ません。律法違反者は、罪人として人々との交わりを断たれるわけです。羊飼いたちにして見れば『神様どうして、そんな律法を定めるのですか。私たちが守れないことぐらい分かるでしょ。私たちには神様は、おられないということですか』と、言いたい程ではなかったかと思います。現代で言えば、何か働き方改革やら処遇改善をして、何とか羊飼いたちが、社会から認められるように、対策を講じるべきだと考えます。しかしそれよりなにより、神様がおられないと、思われてしまう状況は、人間にはどうすることも出来ません。

ところが、人間にはどうすることも出来ない事は、神様の方から、どうすることも出来るようにして下さるのです。もちろん具体的な働き方改革や処遇改善の方では無くて、神様がおられるように、神様自ら、そのようにして下さるというのです。それが、今日の羊飼いたちを通して現わされた、ということです。飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子が、あなたがたへの、救い主のしるしだ、そう聞いた羊飼いたちは、それを探し当てました。その時の羊飼いたちの様子は、次の通りです。『見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った』。『天使の話したとおりだった』というところに、彼らが、神様がおられない自分たちだと思っていたのに、そうでは無かった、という大きな喜びが、表されていると思うのです。自分たちにも神様は、本当のことを話してくれる、自分たちも忘れられていないんだ、という叫びも聞こえて来るようです。そして帰って行った先は、元の野原であり、仕事は羊飼いでした。見た目は何も変わらない。変わらないどころか、もっと悪くなるように、社会の目は厳しいままかも知れない。でも神様は忘れてはおられない。それどころか、ずっと共にいて下さっていると言うのです。その証拠に、彼らが羊飼いとして、とても大切にしているだろう『飼い葉桶』が選ばれて、救い主がいて下さるというのですから。

 思いもよらない事故や災害に出会ったり、自分の責任ではないと思っても、不条理な社会の仕組みに組み込まれたり、結局、神様から見放されているのではないかと、思わざるを得ないことが、人生の中では起こることもある。それでも今日の羊飼いたちを通して、示されるのです。イエス様の神様は、どんな状況にあろうとも、絶対に見捨てる事は無いと、私たちに語り現わされ続けておられると信じます。冒頭で関東大震災の事に触れましたが、それ以後も繰り返し、たくさんの震災や洪水などにも、見舞われて来ました。思わず『神様、何故。またですか』と声を上げたくなります。今年の能登半島大地震から、まもなく一年を迎えます。世界に目を向ければ、ウクライナ、パレスチナ、そしてシリアでは、新たな内戦の危険性も報じられております。だからもう、神様はいなくなっているんだ、ではなくて、それでもこの苦難のために、世界中が知恵と力を出し合って、立ち上がるところに、神様が共にいて下さると信じます。

先日、日本原水爆被害者団体協議会が、今年のノーベル平和賞を受賞され、12月10日に授賞式が行われました。そこには、平和大使としての高校生も参加されていました。13日の帰国会見での、一人の高校生の方の、会見の言葉が印象的でした。『自分たちが被災者から、直接証言を聞ける、最後の年代だと思います。証言をしっかり聞き取って、伝えられ続けて行くように、思いを新たにしています』。この平和運動の働きにも、次の世代が建て上げられ続けている。そうやって、主イエス・キリストの神様の寄り添いという愛の働きは、途切れることなく続けられて行くのです。

 これからも何ものにも阻まれることなく、こうして主イエス・キリストの神様の愛の働きが続けられる。『飼い葉桶の乳飲み子』は、私たち全ての者にとっても、救いのしるしとなり続けるのです。何故なら、こんな私も汚くて罪深い者であっても、それでも共にいて下さるからです。だからわたしたちも『天使のはなしたとおりだ』と、神をあがめ、賛美しながら、それぞれの置かれている場所へ、そして新たな使命も与えられて、また帰って行こうではありませんか。

降誕節第1主日

『イエスの言葉の意味』ルカ2:41-52

今日の福音書は新共同訳聖書では『神殿での少年イエス』と言う小見出しが、付けられてあります。少年イエスが描かれる、唯一の箇所です。それで、そんなイエス様に注目すると同時に、両親のヨセフとマリアにも、注目させられます。先週までクリスマスの出来事を、聖書から聞いてまいりました。マリアとヨセフは結婚前でしたが、聖霊がマリアに降って、神の子を産むと天使から言われました。いわゆる受胎告知です。一方ヨセフも、マタイ福音書1章18節以下で、聖霊によってマリアが、身ごもっていることを知らされます。両者とも大いに戸惑いましたが、最終的には二人とも、天使の言葉を受け入れて、正式に結婚しました。そして、天使の言われた通り、ヨセフは生まれた子に、イエスと名付けました。父親の役目を果たすのです。

この家族のその後は、マタイ福音書では、時のユダヤ王ヘロデが、救い主として生まれた幼子イエスを、自分の地位を脅かすかも知れないと恐れて、その居場所が分からずに、ベツレヘムで同じ時期に生まれた、二歳以下の男の子を虐殺させます。ヨセフたちはからくもその難を逃れて、エジプトへ逃避行します。ヨセフは何から何まで、神様の御告げに従いましたが一方で、この子がいなければ、このようなめには遭わなかったと、折に触れて思ったのではないかと想像されます。そして、ヘロデ王が死んだ後、ようやく住まいのあるナザレに戻りました。そしてその後の生活を、ルカ福音書が伝えています。

ところで、マリアの身ごもりが、ヨセフに伝えられた、マタイ福音書の1章19節には、次のように記されてあります。『夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した』。当初のヨセフの苦悩が伺われます。ここの『正しい人』というのは、神様の戒めである律法を、忠実に守っている真面目な人、という意味です。ですから、律法に従えば、マリアは姦淫の罪に問われ、石打の刑に処せられます。それでひそかに縁を切れば、せめて石打の刑は免れるだろうと思ったのでしょうか、同時に自分の名誉も、保たれると思ったかも知れません。しかし最終的には、天使の言葉を受け入れ、イエスは自分の子として、普通に結婚生活に入ったようです。それにしても、真面目なヨセフですから、マリアとイエス誕生の経緯は、表には出さない痛みを、心のどこかに、ずっと抱え続けたのではないか。

ルカ福音書が伝えるその後の家族ですが、今日の箇所の前の、ルカ2章22節以下には、誕生してから律法に従って、いわゆるお宮参りをしたと記されてあります。ここにはヨセフとかマリアとか、固有名詞ではなく『両親』と記されてあります。真面目なヨセフですから、相変わらず律法に忠実に従ったのでしょう。しかしヨセフの本当の心の中は、どうだったでしょうか。ルカ2章39節『親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った』とあります。ここでは『親子』とあります。親とは、ヨセフとマリアの両方のことなのか、ヨセフだけとも考えられます。律法で定められたことを子に施すのは、父親の役目だからです。でも『ヨセフと子』ではなくて、敢えて『親子』としたとすれば、聖書はヨセフの心の中の何かを、意識させようとしたのではないかと、思い巡らされます。そしてヨセフとイエス様との関係は、どうだったのだろうかと、ここでも考えさせられます。それからイエス様は、たくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれたと聖書は記しております。人は様々な出来事によって、感情が左右され、定まらないこともあります。しかし神様は何が起ころうとも、絶対的な恵みに溢れるお方なのです。人が施す恵みについては、ここでは触れられていません。人はあくまでも相対的ですから。

そして今日の場面も、両親は過越祭のために、いわゆるエルサレム巡礼を行っているところです。これも律法に規定されていることです(出エ23:14-17)。そしてこの規定の義務は、成人男子に命じられていました。必ずしも女性や子供が、同行する必要は無いのです。信心深い家庭では、妻も一緒に詣でたそうです。そして12才のイエス様も同行しました。ユダヤ人の男子は、13才が成人です。イエス様は一才早く詣でたのは、敬虔な家では、律法を守る予行演習をさせるしきたりもあったそうです。律法に忠実なヨセフの姿勢が、随所に伺われるのです。

先程、律法に忠実で、真面目なヨセフですから、マリアとイエス誕生の経緯から、表には出さない痛みを、心のどこかにずっと、抱え続けていたと申し上げました。それは、マリアと結婚した後も、律法に忠実な姿勢は変わらず、もしかしたら、それまで以上に律法に、こだわり続けたのではないかと思うのです。イエス誕生の経緯による、周りからの誹謗中傷から、家族を守るためなのか。イエス様との関りが、律法に忠実であれば『やっぱりあの子は、ヨセフの子なんだよ』と、むしろ周りから見られるかも知れない。家族も守られ、自分の名誉も保たれるのではないか。更には、マリアを受け入れたことは、いくら天使の言葉によるとは言え、律法違反であることには違いない。そんな罪を犯した自分の負い目を、拭い去りたい思惑も、働いていたのではないか。しかしまたここで、律法を守ることが、自分と家族のためだけで、神様のためではないと見られるならば、それは本来の律法の守り方とは、逸れてしまう。それはそれでヨセフにとってはまた、本意では無かったか。律法に忠実に向き合おうとすればするほど、ヨセフの苦悩は尽きないかのようなのです。

そんな矢先に、イエス様が帰りの巡礼の隊列からはぐれてしまった。両親がまたエルサレムに引き返すと、神殿にいるイエス様を見つけた。ここでも『両親』と言う言葉が、ずっと使われて来ています。そして『マリア』ではなく『母が言った』と、語られた会話が出て来ます。しかし相変わらず『ヨセフ』という固有名詞は出て来ず、ましてや語った会話の言葉は、一切出て来ません。母の会話の言葉は次の通りです。ルカ2章48節『なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです』。ここで母マリアは『お父さん』を持ち出しています。父と子の関係を、実は一番気にしていたのが、母マリアだったでしょうか。普段の、イエス様に対するヨセフの振る舞いが、どことなく厳しかったのかも知れません。でも実はお父さんは、あなたのことを心配しているんだよ、というニュアンスです。

 それに対するイエス様の、言葉が考えさせられます。ルカ2章49節『わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを』。これはかなり意訳です。『家』という言葉は、原文にはありません。ここを直訳すると次のようになります。『わたしが自分の父のものによってあるはずだということを』。それに対して両親は『イエスの言葉の意味が分からなかった』という事です。不可思議なイエス様の返答です。直訳から考えますと、イエス様が言う父とは、父なる神様とも取れますし、ヨセフにも取れないことは無いと思います。ヨセフは人間イエスの父であり、神様は神の子イエスの父だと、暗示するように聞こえます。そして最後に、ルカ2章52節『神と人とに愛された』と言います。ルカ2章40節では『人』に言及されていませんでしたが、ここでは対照的に『人』が加えられているのです。

今日は父ヨセフを通して、律法に忠実であることに苦悩する人間が、描かれているように聞きます。律法を与える神様が悪いのか。そうではなく、律法を受け入れる人間が、律法を悪いもののようにしてしまうから、人間は律法に苦悩するのでしょうか。律法を守るか守らないか、人間は見た目で、守る者を良いとし、守らない者を悪とします。しかし良いか悪いかは、神様が決める事です。人間が勝手に評価することは出来ないのです。イエス様は成長して、そんな人間の律法による苦悩を、解きほぐすように働かれる。『神と人とに愛された』というのは、神と人との仲介役に立つという、イエス様の働きが指し示されます。そして父ヨセフが抱くわだかまりは、この時から次第に解きほぐされて行ったのではないか。

キリストの教会によって、イエス様が与えられたことに感謝します。またこれからも、感謝し続けられますように、導かれてまいります。